その、冬眠しなかったというシマリスこそは、チョウセンシマリスだろう。 北海道だけではない。1990年には、何と25道府県で野生化が確認されている。いったい、チョウセンシマリスはどのように日本に来て、棲みついたのだろうか? 歴史を振り返ってみよう。 彼らが最初に日本にやってきたのは、日本が朝鮮を植民地統治していた時代だ。 日本の動物商は朝鮮でシマリスを生け捕りにし、日本で売っていた。 例えば「大阪市天王寺動物園70年史」には、1934年と39年にチョウセンシマリス購入の記録がある(因みに値段は5匹で0.8円)。 他の動物園や一般家庭でも、彼らが飼われていたに違いない。しかしそれはまだ、問題を起こすような規模ではなかった。 彼らが、大々的に日本にやってくることになるのは1962年頃から。 朝鮮戦争の特需で戦後復興を成し遂げた日本は豊かになり、ペットブームが巻き起こる。 方や韓国は、同民族が殺し合う「悲劇の戦争」によって、世界の最貧国となってしまった。 1961年の日本の一人あたりの国民所得は564ドル、タイが220ドル、フィリピンは170ドル、韓国はたったの82ドル。日本の約7分の1という貧しさだ。 韓国から日本に輸出されたシマリスは、貴重な外貨を得る手段のひとつとなっていたのだ。 1971年のある韓国紙には年間30万匹を輸出し、45万ドルを稼いだとあった。 だから1965年の日韓国交正常化を待たずに、チョウセンシマリスが日本へやってきていたのだ。 おそらく、日米の「親善大使」に選ばれたのは、ロシア・中国・モンゴル・北朝鮮という当時の社会主義国でしか手に入らないシマリスだから、アメリカ側が欲しがったのだろう。 やがてチョウセンシマリスは、ペットのなかでもトップクラスの人気モノとなり、年間、数万匹(多い年は10万匹以上も)が輸入される。そうして逃げ出したり捨てられたりしたモノが野生化してしまったのだ。 研究者はチョウセンシマリスがエゾシマリスの脅威となるばかりか、交雑の恐れがあると警告している。 しかし両者の外見上の区別は難しく、駆除の徹底はできていないのが現状だ。 そんな1994年、韓国政府は「ワシントン条約」に加盟したのを契機にようやくシマリスの輸出を禁止したのだ。 日本だけでなく、フランスやドイツなど、ヨーロッパにも大量に輸出しいて激減してしまったのである。(ヨーロッパでは、「韓国シマリス」と呼ばれている) 困ったペットショップは、中国のシマリス、チュウゴクシマリスを本格的に輸入するようになるのだ。
by kimfang
| 2010-11-13 12:36
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