動物児童文学作家のキム・ファンです!!
11/7/26 日本の公害の原点を取材
 20日、いつか訪れたいと願っていた渡良瀬遊水地を、栃木県側から取材した。
 渡良瀬遊水地は利根川の中流部付近。栃木、群馬、埼玉、茨城の4県にまたがる3,300ヘクタールにものぼる広大な遊水地だ。ぼくがここにこようと思ったのは、ここが、「日本の公害の原点」ともいわれている「足尾鉱毒事件」の「現場」だったからだ。
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 足尾鉱毒事件とは、明治時代に起きた大事件。栃木県日光足尾地区では、江戸時代から銅が採掘されていたが、明治に入ると近代化されて東アジアで一番の生産量を誇るようになる。
 しかし銅の生産時に必要な木炭を得るために木が乱伐され、ハゲ山になっていった。
 山に木がないと保水力が保てない。土砂崩れがひんぱんに起こるようになり、鉱山の毒、鉱毒が渡良瀬川をはじめとする下流に流れでてしまったのだ。流れでた鉱毒で被害にあった人たちは、鉱毒反対運動をおこしたのだ。
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 栃木県選出の国会議員であった田中正造は、国会で何度もこのことを訴えるが、貴重な輸出品であった銅の生産を続けたい明治政府は、頑として認めようとしなかった。
 谷中(やなか)村の将来に危機を感じた田中正造は、村に移り住むなどして抵抗したが、逆に政府は、鉱山の閉山を求める谷中村の人たちを無理やりに移住させてしまうのだ。
 渡良瀬川の鉱毒を無害にしようと、川の流れを変える大工事の末にできたのが、渡良瀬遊水地なのである。 だが、事件から100年以上も過ぎた現在も、いまだに鉱毒は残っているという。

 渡良瀬遊水地は三つの池からなる。とうとうと水を蓄えて青く輝いている第1の池、谷中湖の北側には、今はもう湿地と化した旧谷中村があり、散策できるようになっていた。
 畔には村人たちの名が刻まれた合同慰霊碑がひっそりと立っていた。
 そこで手を合わせて、鉱毒で苦しみ、洪水で苦しみ、さらには故郷を奪われる苦しみに見舞われた村人たちの無念を想った。
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 案内してくださった市役所の方が、「移住先での生活も、たいへん苦労の多いものだったようです」と静かに話された。
 故郷を失った「失郷民」の子孫であるぼくは、在日一世たちの苦しみと重ね合わせた。さらには、原発事故により、「新たな失郷民」となりかねない被災者の方たちとも重なってしまった。
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 そんな哀しいまでの犠牲を払った「公害の原点」を、「自然再生のシンボル」にしようという計画がある。
 現在、第2、第3調整池は干上がって広大な湿地となっている。治水機能を保ちつつも、湿地をそのまま残すような工事を施し、「ラムサール条約」の登録と、再生のシンボルとしてコウノトリを飛ばそうという壮大な計画だ。(写真は第2調整池)
 その「現場」に立ち、旧谷中村の人たちも、きっと、喜んでもらえると確信した。

 さて、栃木県らしいお土産をとさがして見つけたのが、これ。
 U字工事の漫才でもでていたと思う。
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by kimfang | 2011-07-28 22:40 | 取材ノート