いよいよ、豊岡副市長の講演の日になった。
この日のために、友人たちもぼくもたくさんの準備をしてきた。
クァク館長たちは住民たちに招待状を送り、横断幕を掛けるなどして講演会の雰囲気づくりに励んだ。イ博士たちは市長の講演の前に参加者に観てもらおうと、ポンスニのビデオを制作した。ぼくはそのナレーションに日本語訳をつけた。
「世界一田めになる田んぼin韓国」を一緒にやっていたとき、
「大丈夫かなぁ。慶尚道の方言を理解できるかなぁ」
と、ふと漏らすと、それを聞いた「自然の研究所」のオ所長も通訳の助っ人としてわざわざプチョン市から駆け付けてくれた。
なのに、なのにだ。
韓国でとても有名な「コウノトリ市長」は台風に備えるために訪韓できなかった。豊岡市はちょうど10年前の台風23号で甚大な被害を受けている。市長は市民を守らなければいけない。そのことを考えると当然のことだ。
市長でなく副市長の講演となったことで、参加者が減らないか……。
果たして市民との対話はうまくいくのか……。
準備を進めてきた友人たちの不安は募った。
でも、それは取り越し苦労だったようだ。招待したのは40人だったのに、何と、50人以上が会場にかけつけ、イスが足りずに増やすほど。参加者の中にはソウルから始発のKTXに乗ってやってきた童話作家もいた(ウァオ、ライバル現る。ヤバッ^^)。
講演会は大成功。4日後の16日、
地元紙である金海ニュースに「황새 '봉순이' 김해-도요오카 가교 역할」「コウノトリ『ポンスニ』 金海―豊岡 懸け橋の役割」という大きな見出しの記事がでた。
この記事の見出しにあるように、ポンスニは日韓をつなぐ存在としてますます大きな役割を果たしている。
ポンスニのちからを改めて知った金海市訪問だった。