動物児童文学作家のキム・ファンです!!
カテゴリ:取材ノート( 65 )

13/6/12 7年ぶりの「長生浦クジラ博物館」
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 せっかく韓国にいくのだから、講師や通訳の仕事以外のこともしたい。
 今、ちょうどイルカの原稿を書いている。シンポジウム前日に、韓国で唯一のクジラ・イルカ博物館である「長生浦クジラ博物館」と、実際に飼育しているイルカが見られる「クジラ生態体験館」を訪れることにした。
 ソウルから出版社の担当編集者も駆けつけてくれて、一緒に取材した。

 
 長生浦クジラ博物館は、韓国で初めてIWC・国際捕鯨委員会が開催されるのをきっかけに2005年にできた施設で、ぼくは2006年に一度、訪れている。だから7年ぶりの訪問だ。
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 7年前に会った、たったひとりの女性学芸員はまだいるのかな? 
 あのときに学芸員からもらった非売品の論文集が、出版社の企画を通すのにたいへんに役に立った。お礼もいわなくては。

 しかし現れたのは、ちがう学芸員。しかも7年経っても、やはり学芸員はひとりだけ(今回もやはり女性だった)。たったひとりの学芸員では、展示物の更新もむずかしい。いくら立派な箱を造っても、有効に使うためには複数の学芸員が必要なのだが……。

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 展示に大きな変化はなかったが、7年前にはなかった新しい展示があった。
 まさに、デジタル大国、韓国ならではの展示物。先史時代の先祖が書いた「반구대암각화 盤亀台岩刻画」(1971年発見、1995年に国宝指定)の絵のなかからボタンを押すと、押されたクジラの絵が泳ぎだして生態を説明する、この展示物は見事だった。

 そういえば7年前、この国宝の岩刻画が見たいといったら、学芸員から「今は水につかっていて見られないから、行ってもムダです」という信じられない答えが返ってきた。
「えっ! 何で国宝が水に浸かっているの?」
 ぼくが聞き返すと、学芸員が顔を曇らせて黙ってしまったことを、今でも鮮明に覚えている。
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 学芸員の代わりに年配の女性職員(これまたたったひとり)が、まだ、国宝が発見されていなかった1965年に工業用水確保のためのダムが建設されてしまって、1年のうちに3~4か月は水のなかに浸かってしまうようになったと説明してくれた。
 それでも国宝を守るためには、ダムを廃止するのが当たり前だと思うのだが、あれから7年経ったいまもまだ、国宝か? 経済か? という議論は今も続いていて結論はでていないという。f0004331_19141981.jpg

 
 もうひとつ、7年前になかったものを見つけた。子どもたちへの学習に粘土工作が導入されていたことだ。子どもの本に携わる者としては、これをやらないで帰るわけにはいかない。

 編集者と一緒に作ってみた。
 編集者とは2005年以来の長い付き合いなのだが、彼が思いのほか手先が器用だという一面を新発見した。というか、ぼくがあまりにも不器用なのである。
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 こういうとき、ぼくは決まって左利きだつたのを右利きにしたから、と言い訳をするのだが、彼も左利きの人。言い訳にはならなかった^^

 一目瞭然。左のきれいなのが編集者が作ったもの。
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by kimfang | 2013-06-16 19:11 | 取材ノート
13/4/28 病気のサクラと会う
  今回のソウル大公園訪問は、南北友好の象徴だったイヌと会うのだけが目的ではなかった。ちょうど10年前に宝塚ファミリーランドの閉園に伴い韓国へと渡ったゾウのサクラと会うのも目的のひとつだった。
 ぼくは彼女のことを『サクラ―日本から韓国へと渡ったゾウたちの物語』(学研)に書いていて、韓国でも『코끼리 시쿠라 ゾウのサクラ』(창비)として翻訳本をだしている。
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 きっかけは韓国で購読者数第2位といわれている雑誌「시사IN シサイン 時事IN」(右の写真)の記者からの国際電話だった。
「サクラが病気になっていて、故郷のタイに送ろうとしている人たちがいるが、サクラの本を書いたあなたはこのことについてどう思いますか?」
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 実は、国際電話の直前に知人からメールがあり、「サクラを家に プロジェクト」を立ち上げた経緯と、記者がぼくの電話番号を知りたがっているという連絡があった。教えて構わないとメールを返したら、すぐにかかってきた。

「サクラの病気がどれほど深刻なのかわからないが、もともとサクラは生まれて7か月半で日本にきています。コンクリートのうえが当たり前、人間と暮らすのがあたりまえだと思っている。このままソウルにいるのが幸せなのか、タイにいって自然のなかで暮らすのが幸せなのか、とにかくサクラの立場になって考えられる専門家の意見を聞くべきた」

 シーサインは、「老いて憂鬱になっていくサクラを故郷へ」というタイトルで、「サクラを家に プロジェクト」の人たちの活動を大きく紹介した。もちろん、ぼくの「専門家の意見を聞くべきと」いう電話インタビューも載せた。

 サクラの病状を確かめなくては!
 ソウル大公園に着くと、すぐにゾウの放飼場に向かった。
 その日は暖かくてゾウたちはみな、外にでて群れでのんびりとしていたが、サクラが見当たらない。
 室内展示場にいくと1頭だけ部屋の中でエサをもらっているゾウがいて、鼻の付け根が白い特徴から見て、明らかにサクラだった。
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 気を回した友人が動物園関係の人を呼んできてくれた。やはりサクラは元気がないようで、ほかのゾウたちともうまくいかず、1頭でいることが多いという。
 詳しく話を聞いて、その理由がわかった。
 サクラが10年前にきた頃から一緒に暮らしていたパク・クァンシク飼育員も最近辞めてしまい(何とフィリピンに移住した)、恋に落ちたオスも死に、愛する人たちを続けてなくしたことによる精神的なストレスが原因だったのだ。

 ソウル大公園側には、可能ならフィリピンにいった元飼育員、パク・クァンシクさんにソウルにきてもらって客観的な意見を聞くのはどうか?と提案した。
 
 サクラはこれからどうなるのだろうか?
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by kimfang | 2013-04-28 11:06 | 取材ノート
13/4/20 老いる南北友好の象徴
  イヌの本を出してひと月が過ぎた。以前の記事でも触れたように、光栄にも韓国出版産業文化振興院の4月の青少年勧奨図書に選んでいただいた。ふつうは選ばれると、読書新聞をはじめとする多くのメディアが取り上げるのだが、4月の20日を過ぎても待ち望んだ記事は出なかった。いまさら今月の本もないだろうが、「本どころではない」ほど今回の戦争の危機が今までとはちがうレベルだったということだ。

 危機が去ったわけではないが、緊張緩和に向けた対話の動きもではじめている。それでも朝鮮戦争がはじまった6月25日や、休戦協定が結ばれた7月27日に向けて、新たな動きが必ずやあることだろう。
 何としても、戦争だけは避けてほしい。

 ところで南北には、殺しあった戦争の記念日だけではなく、友好の記念日だってあるのだ。みなの記憶から遠ざかろうとしているが、2000年6月13-15日に初めて南北の首脳が会って握手をした。
 そのときに交換されたのが、南の珍島犬(진돗개)と北の豊山犬(풍산개)だった。キム・ジョンイル国防委員長からキム・デジュン大統領に贈られた豊山犬は、しばらく青瓦台(大統領府)で育てられたが、その後はずうっとソウル大公園のオリニ公園で飼育されて、今も一般公開されている。

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 ぼくは韓国のイヌを長年取材してきたが、この「南北友好のイヌ」も、しっかりと取材させてもらっている。何と、2004年にはオスの「ウリ」を(写真上)、2005年にもメスの「トゥリ」を(写真下)散歩させてもらったことだってあるのだ。
 南北の首脳が交換したイヌ、大統領がもらったイヌにもしも何かあったらどうしょう?と、ドキドキした思い出は今も色あせない。

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 このイヌたちがそろそろ危ない―という噂を聞き、3月に会ってきた。
 上の写真のそれぞれ右端が、今のウリとトゥリだ。
 かつてのように「特別室」で暮らしてはいなかったが、それでも「南北首脳会談のイヌ」という看板はかかっていた。
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 オスのウリはよろよろとしか歩けず、メスのトゥリは耳がほとんど聞こえない状態と担当飼育員はいっていた。
 生まれて2か月半のときにやって来たというから、今年で13歳。中型犬だから80歳前後というところか。いつ逝ってもおかしくない。

 南北の動物交流は1999からはじまり、7度にわたり色々な動物が送られてきたが、2007年からは止まっている。
 朝鮮半島固有種の復元のためにも再開される日を待ち望んでいる。

 そういえば来年の4月に、人工飼育したコウノトリを放鳥する予定だ。かつての繁殖地の名前をつけて飛ばすのだが、北の繁殖地の名前もつけることになっている。

 できれば南北共同でこの事業をやりたいと関係者は望んでいるのだが……。
 あと1年、劇的な好転はあるのだろうか? 
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by kimfang | 2013-04-20 13:36 | 取材ノート
13/3/8 チェドリに会った
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 今回の訪韓の目的のひとつが、イルカのチェドリに会うこと。

 チェドリは違法に捕獲されたイルカで、しかも韓国では114頭しか確認されていないミナミハンドウイルカということがわかり、海に帰すことが決まったイルカだ。
 これを機に韓国では動物園や水族館のあり方が国民的な話題となり、イルカに過度な負担をかけるイルカショーは廃止されることになった。
 そしてチェドリは、韓国版「フリー・ウィリー」を目指すことになったのだ。

 映画『フリー・ウィリー』は、水族館でシューをしていたシャチが海に帰る話だ。この映画に出演した「ケイコ」が病気になっていることを知った子どもたちが、映画のように生まれ故郷のアイスランドの海に戻したいと願い、大人たちが立ち上がった。
 ケイコは海に戻ったのだが……。詳しいことは、右の本をはじめとする辺見 栄さんの本を読んでほしい。

 にわかにチェドリが国民的な話題となったものの、イルカに対する基礎知識はまだまだ低い。イルカのことが書かれた「国産」の科学読み物がまだないのだ。それを何とかしようと、イルカの本を書くために取材を続けている。

 いよいよ今回は、チェドリに会う取材。済州島の海に戻る前に、チェドリとの思い出を作るプログラムがソウル大公園で行われていると聞き、訪れた。
 チェドリが飼育されている海洋館も「チェドリのお話館」(写真中央)と名前が変わり、そこへ向かう道(写真左)にも、チェドリのことが書かれた説明書きが展示してあった。まさにチェドリ一色。

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 入口には寄せ書きが書けるコーナー(写真右)があり、ぼくも一筆。

 

 
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 さて、ぼくはここで過去に2度、イルカショーを見ている。今回見た演目は、人をよろこばす派手なショーではなく、イルカとチェドリのことを科学的に知るような内容に変わっていた。

 
 チェドリ以外のほかの2頭(写真右)が中心的に行い、野生に帰る訓練をしているチェドリ(写真左)は必要最小限の参加にとどめながらも、ジャンプなどのパフォーマンスで、子どもたちとの思い出つくりをしていた。

 実際に会いにいき、ますます急がなければと感じた。
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by kimfang | 2013-03-10 12:21 | 取材ノート
12/12/12 今年の動物ニュース 一位は「チェドリ」
 10日、ソウル大公園は「今年の10大ニュース」を発表した。330種、2600匹の動物の中から、堂々の1位に選ばれたのが「野生復帰することになったチェドリ」! 報道によると、来年の夏には海に帰すという。
 以前にも書いたが、チェドリは済州島で不法(原則捕獲禁止)に捕獲されたイルカ、それも国際保護対象になっているミナミハンドウイルカだ。おりしも、済州島の海は海軍基地建設で揺れていた。
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 しかも、新しく就任したソウル市長が、「イルカショーは動物虐待。チェドリを済州島の海に帰して」と訴えた環境保護団体の主張を受け入れたことで、にわかにイルカが注目を浴びた。
そのおかげで、ありがたいことにぼくにもイルカの原稿依頼があり、今、必死に書いている。

 ところでチェドリの野生復帰を受けて、2005年に出ていたイギリスのノンフクション絵本「海に帰ったイルカ」(原題 BACK TO THE BLUE 日本ではでていない)の改訂版が、今年(写真)急きょ出版出された。この絵本は、バージニア・マケナーが1997年にイギリスでだした本だ。水族館で飼われていた「ロッキー」と、あとから一緒になった「ミシー」と「シルバー」が、いろいろな困難を乗り越えて海に帰るまでの過程を描いている。イギリスでは1970年代に30か所を超える施設でイルカショーが行われていたが、1989年に3か所にまで減り、今はひとつも行われていない。

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 チェドリの他にも、済州島の「パシフィクランド」のイルカにも注目が集まっている。
 ここのイルカもイルカショーをしていたが、ほとんどのイルカが不法捕獲されたことが明らかになり、裁判所から没収するとの判決を受けた。裁判の最中にも数頭が死に、残るのは4頭――。

 ところが、ここのイルカたちを受け入れてくれる施設が見つからない。
 取りあえずは、蔚山の「クジラ生態経験館」に移されることになった(写真)が、もう収容限度を超えている。海に帰すとしても野生化訓練を施す資金がない。

 どうなる? イルカたち。
 そもそもショーをさせていた人間が悪いのだが……。

 書いている本は、イルカとの共生を考えてもらう内容にしたい。
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by kimfang | 2012-12-12 12:14 | 取材ノート
12/6/17 原発予定地のカンムリウミスズメを撮った!
 16日に上関を訪れた。絵本、『のんたとスナメリの海』の取材のために訪れて以来、11年ぶりだ。
 上関原発は本格的な埋め立て工事がはじまったが、福島の原発事故を受け工事が中断。しかし計画が白紙撤回されたわけではない。
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 今回は、イルカの仲間であるスナメリを題材としたノンフィクションを書くべく、「長島の自然を守る会」が企画した「スナメリウォッチング&祝島ビワがり」に参加した。
 取材に向かう5日前に広島湾で100頭ものスナメリが確認されたと、地元の新聞が大きく報じた。スナメリに会える確率は高いぞ! 期待で胸を膨らませた。

 そところが雨がひどい。ぼくは小さい方の船に乗り、カメラを構えて甲板に座った。
 ガイドがいった。「ここにいたスナメリたちが、イワシの群れを追って広島湾に移動しました」。
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 しかしスナメリを見つけることはできず、船は原発予定地に着いた。
 11年前は工事もはじまっていなくて、生きもの調査もすることもできた。しかし今は、船の上から、埋め立てられるかもしれない田ノ浦の浜を眺めるしか術がない。
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 と、その時、船長が「いた!」と叫んだ。
 ガイドも「キムさん、カメラ、カメラ!」と続けた。
 ついにスナメリに会える! 

 大きく揺れる船を這うようにして声のする方へ。

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 ところがいたのはスナメリでなく、カンムリウミスズメだった。大きく揺れる船に這いつくばって無心にシャッターを切った。

 世界でたった5,000羽しかいない希少な海鳥だ。2008年にこの海域で初めて発見されて以来、何度も撮られているが、原発予定地での撮影は珍しく、貴重な写真となった。

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 祝島に着くと、大きい方の船に乗っていた人たちから声をかけられた。
「カンムリウミスズメを見たんですって! 会ってもらいたい人のところに、現れるのねえ」
「スナメリよりも会えない生きものだよ。よかったね!」
 確かにそうだが、やはりスナメリに会えていないことが心に引っ掛かった。
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 予定された行事をすべて終えて、船は祝島を離れた。
 スナメリに会うにはこれが最後のチャンス。海の荒れは益々ひどく、もはやカメラを構えられる状態ではない。それでも海を見つめ続けた。

 するとどうだ! 最後の最後に、息継ぎのために海面に現れたスナメリ、2頭を見つけた! 

今回の旅で、原発予定地は、瀬戸内海の原風景が残った「奇跡の海」であると、改めて感じた。
決して壊してはいけない。
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by kimfang | 2012-06-25 22:20 | 取材ノート
12/4/30 韓国のコウノトリ放鳥予定地、イェサンに立つ!
 次に訪れたのが忠清北道・イェサン(禮山)郡。
 ぼくも、豊岡の人たちも一番たのしみにしていた訪問地だ。だって、ここに豊岡の「コウノトリの郷公園」のような「コウノトリ村」が建設され、コウノトリの野生復帰の拠点となるからだ。
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 正直にいおう。韓国のコウノトリ村建設計画は、これまでに二転三転してきた。
コウノトリ復元センターでは、教員大学で飼育しているコウノトリを受け入れてくれる自治体をさがしたが、当時、積極的に手をあげてくれる自治体はなかった。

 粘り強い説得の末に、2005年、教員大学がある忠清北道のチョンウォン(清原)郡ミウォンに決まった。

 農民たちはとても積極的だった。コウノトリを育む農法で米をブランド化するんだと意気込んでいたし、ぼくは彼らの熱意に答えようと豊岡の農夫と訪問したこともある。ところがチョンウォン郡の幹部は、豊岡の訪問団との食事会に銀行マンを伴って現れたのだった。お金のことしか考えてないの…?
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  大丈夫か……
 心配は現実となった。2007年、新しい郡守に変わるやいなや、計画は白紙撤回された。
 何と郡は、コウノトリ村誘致ではなく、ゴルフ場の誘致を決めたのだった。

 そこで政府と韓国コウノトリ復元研究センターは、コウノトリ村の誘致を希望する自治体を公募した。そのなかから、2010年に選ばれたのが、今回訪問した忠清南道のイェサン郡だった。
 韓国にはコウノトリが生息していたことを伝える石碑が三つある。ひとつは最後までコウノトリがいたウムソン。そしてイェサンにはふたつある。文化的にも、合格地だ。
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 しかしぼくが知っている情報によれば、全羅南道のヘナム(海南)市は、政府が公募するずいぶん前から、とても積極的に誘致に手をあげていた。市民のラブコールは、ヘナムが一番。だってヘナムには、野生のコウノトリもしばしば現れる。そんなことから、ぼくもヘナム市が適切と考えていた。
 が…政府とセンターが出した決定は、イェサン郡。すっきりしないものが残っていた。

 また、チャンウォン郡のように挫折しなければいいが……。

 イェサン郡の郡守さんとは、どんな方なのか? まさかまた、銀行マンを連れてこまい…。

 いざ、豊岡市長との会談がはじまった。まず、おどろかされたことは、自分の発言を簡単にまとめたものを準備してくださったこと。これは通訳としては、たいへん助かることだ。
 次、どんな発言が来るのか、全神経を集中しメモをとりながらやると余裕がなくて、つらい。しかも、やり直しはきかない。

 けれども、こうして紙に書いていただくと、余裕をもって訳すことができるから、限りなく正確だ。もちろん、郡守さんは紙に書いていることを棒読みしたのではなく、アドリブをたくさん交えて朗らかに話された。
つまり、豊岡の市長さんを迎えるにあたって、事前に歓迎文を作成するほど、この会談に並々なならぬ想いを寄せていらしたということだ。
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 会談のなかでも熱意を感じた。豊岡のこと、コウノトリのことをわかりやすく知るための一時間のビデオを作成させて、全職員に見せたという。
 また、百聞は一見にしかず。豊岡に見に行け! と職員をどんどん訪問させていた。
 そういえば、このごろイェサンの人たちの豊岡訪問が相次いでいた。

 
 熱意は、食事に向かう過程でも現れた。
 移動のために車に乗ったのだが、郡守さんは準備された公用車には乗らずに、ぼくたちのマイクロバスに単身乗り込み、食事場所への移動時間も惜しんで豊岡市長と話をされたのだ!
 そして食事会場でも、また、発言内容を要約したメモをそっとわからぬように渡してくださった。
 まこと、紳士である! 
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 郡守さんは、コウノトリをイェサンが独占しようなどとは考えていないとおっしゃった。ここで育てたコウノトリが韓国全土に飛んで行ってほしいと考えていた。
その基礎を、しっかりとイェサンがやるんだと!

 ヘナム市はもともと越冬地だから韓国全土に広がらない可能性がある。イェサンとヘナムを移動しながら全国へ広げればいいともおっしゃっていた。
 この、郡守さんなら大丈夫! と、確信した。

 
 郡守さんとの会談のあと、コウノトリ村建設予定地に立った。
 見下ろす谷が、コウノトリ復活の拠点となる!
 放鳥式典には、中貝豊岡市長が招待されるだろう! ついでにぼくも呼んでや~

 豊岡市長のイェサン訪問は、大きく報じられた。

 地元新聞 忠清トゥデイ      Cニュース041

 
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by kimfang | 2012-05-09 14:30 | 取材ノート
12/4/30 豊岡からいったコウノトリ、市長にあいさつ
 シンポジウムのあとはそれぞれの市が、それぞれの目的にあった視察にでかけた。
 当然、豊岡市はコウノトリ関連の施設。もちろん、ぼくもそのために通訳としてやってきた。
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 まずはコウノトリを1996年から飼育している韓国教員大学。
 宿泊先のプサンから車で2時間半かけて着いた。
 ぼくは豊岡の人たちを連れて4回もいっているが、中貝市長ははじめての訪問だ。やはり市長がいくとちがう。教員大学の総長との会談が組まれた。

 シンポジウムでは3人でやっていた。ひとりで大丈夫かなあと心配したが、むしろこっちの方がやりやすかった。話題がコウノトリに絞られているし、それに何よりも、総長がきれいな標準語で話してくださったので助かった。
 へへへ正直にいうと、プサンでのシンポジウムは、結構、プサン訛りに手を焼いていたのである。

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 総長室での歓談が終わると、実際にコウノトリがいる飼育施設へと移動した。
 韓国コウノトリ復元センターの所長は長年、創設者のパク・シリョン教授が務めていたが、弟子のクォン・ヨンジュ教授が新しい所長になっていておどろいた。世代交代だなあ。

 クォン所長から、「豊岡からきたオスと韓国で生まれたメスがペアになって、毎年、ひなを生んでくれています」と説明があった。
 市長がケージの前に進むと、何と、豊岡からきたオスが市長にあいさつしに近づいてきた。

 「放鳥されたら豊岡にまで飛んできてよ」と市長が声をかけると、
 すかさず総長が、「愛する奥さんが気になって、すぐにもどってしまうでしょう」と返し、みんな大爆笑した。

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 有名な「コウノトリ市長」の訪問とあって、韓国KBSテレビと東亜日報が取材にきていた。
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by kimfang | 2012-05-07 22:08 | 取材ノート
12/4/29 韓国、トキ飼育施設 2度目の訪問
 シンポジウムが終わった後、参加者たちはウポのトキ飼育施設を訪問した。
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 ここは非公開。一般の人たちは入れない。
 参加者たちは、普段は入れない施設にいけるということでかなり興奮していた。

 でも、ぼくと豊岡市長と宮垣さんは、涼しい顔。だって2度目だもの。
 3人は、2008年の10月末に韓国でのラムサール会議に参加したおりに、出来たばかりの施設に案内されて、トキの飼育員から説明を受けている。f0004331_10301088.jpg
 施設ができたばかりの話ではない。トキ自体も、到着して間もないころ。
 韓国側は、日本の「コウノトリ市長」に、自分たちのトキを自慢したかったんだろう。
 おかげで、この施設に入った日本人第一号が中貝市長で、二番が宮垣さん、ぼくは韓国籍だけどまあ三番ということだ。
 トキを贈った胡錦濤さんよりも、先に入った。
そのトキ(時)の興奮を経験しているから、今回は平常心だ。
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 当時、その興奮をそのまま出版社に話したところ、じゃ、その貴重な経験を活かしてトキの絵本を書いてくださいと、仕事をもらった。
 で、できたのがこの絵本『トキよ、かえっておいで!』(ハンソルスブク)。日本や中国が、どんなにたいへんな思いをして、国際保護鳥、トキを守ったのか!を伝えた。

 この絵本は、今年の「幸せな朝の読書運動」の選定図書に選ばれた。

 いざ、3年と半年ぶりの施設訪問。
 当時はひとつのケージと簡単な管理棟があるだけで、その全容はよくわからなったが、今回はかなり充実した施設に変わっていた。
 案内された立派な建物から、ウポ沼が見える。
 放鳥されれば、トキはこの沼を拠点にして野生復帰する。

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 韓国には「トキ」というタイトルの童謡がある。中年以上の方ならだれもが口ずさめる国民的な歌だ。カラオケにも入っていて、おどろいたことに、日本のカラオケでも入っている。
 しかし若い世代には、この歌もなじみが薄い。

 もうすぐ一般公開させると聞いたが、そうなれば韓国の人たちのトキに対する愛着もますます増すことだろう。
 この日現在で、15羽。抱卵しているのもいるから、もっと増えることだろう。
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 このまま順調に増えれば日中韓で、しっかりとしたトキのネットワークがつくれる。
 ちなみにぼくのトキの絵本も、今年の末か来年に中国語版がでる予定だ! 韓中のネットワークづくりに貢献できる。韓日で共有できる本もだせればいいのだが…。

 2008年、この施設を訪れて、本の依頼がきた。
 2012年、また、本の依頼がこないかなぁ。
トキも大好きな2匹目のドジョウをさがしている^^
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by kimfang | 2012-05-06 10:34 | 取材ノート
12/4/30 どうして私たちの市長や郡守はきてないの?!
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 シンポジウムがはじまった。 (写真は、中貝豊岡市長)
 第一部では、
 大崎市の丸田雅博・産業経済部長、豊岡市の中貝宗治市長、佐渡市の甲斐元也市長、
 韓国のトキ復元センターのイ・ソンボン チーム長がそれぞれ報告した。
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 第二部では、
 新潟大学の桑原孝史准教授、豊岡市の河谷営農組合の岡 治さん、日本雁を保護する会の呉地正行会長、慶尚南道ラムサール環境財団のイ・チャンウ事業チーム長が報告した。

日本で通訳の仕事をするときは、ほとんどがひとりで、それはそれはたいへんなのだが^^、韓国で仕事をするときは先方が複数の通訳を雇っているので、落ち着いていい仕事ができる。
 韓国に於ける通訳の社会的地位は非常に高く報酬もいい、日本もぜひ、見習ってほしいものだ。
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 ところで、シンポジュウムのまとめのところで、司会者が一般参加者に発言を求めた。
 すると韓国の市民たちは、みな、こういった。

「日本の市長さんたちは、自らマイクを待ち、わかりやすく説明をしてくださった。なのに私たちの市長や郡守はきてない。顔を出した幹部たちは、みな、途中でかえってしまう。
 豊岡市や佐渡市の市長さんは、最後まで席を立たないし、寝たりもしない、どうしてこんなに差があるの?! 恥ずかしいです…」 ※郡守さんたちは、食事を振舞ってくださり懇談した。でも、シンポジウムに出てほしいなぁ。

 思わずぼくも、韓国語で、「そのとおりだ!」と叫んだ!
 シンポジウムに参加された「鳥の和尚」もそのことを残念に思われていた。 (ほくと和尚は、お互いの鳥の本を交換した)

 市民と机を並べて学ぶ豊岡市と佐渡市の市長さんの姿に心を打たれた韓国の市民は、その市長さんの町がどんな町なのか見たくて日本を訪れる。
 7月に、豊岡と佐渡市を、韓国の人たちが大勢訪れることがこの日、決まった。これぞ、トップセールス! 韓国の行政のトップの方、どうか手本にして!
 
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by kimfang | 2012-05-05 16:24 | 取材ノート