動物児童文学作家のキム・ファンです!!
カテゴリ:取材ノート( 68 )

11/12/24 長生きして! 南北友好の犬
 今朝の朝日新聞に、『「将軍様の犬」も寄る年波 南北友好の象徴』という記事が載った。
 懐かしい「トゥリ」の姿が写真で紹介されていた。
 この犬こそは、2000年の南北首脳会談のおりに、南のキム・デジュン大統領と北のキム・ジョンイル国防委員長が交換した「友好のシンボル」だ。

 大統領が贈ったのは、韓国初の国際公認犬となった珍島犬(チンドッケ)。国防委員長が贈ったのがトラ追い犬として名を馳せた豊山犬(プンサンケ)だった。その、北から来た豊山犬が年をとって弱っているというのが今回の記事だ。
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 懐かしいというのには理由がある。
 何とぼくは、朝日がいう「将軍様の犬」を自分の手で散歩させたことがあるのだ。それも、オスの「ウリ」とメスの「トゥリ」の両方ともを、だ。
 大統領が国防委員長からもらった「特別な犬」を散歩させた一般人は、そうはいない。いいや、もしかするとぼくひとりかもしれないなぁ。
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 それにはこんな経緯があった。
 宝塚から韓国へいったゾウのサクラを取材していた2004年のこと。サクラとともに韓国へ渡ったポニーなどのほかの動物がどのように過ごしているのか知りたくて、ソウル大公園のなかのオリニ(子ども)動物園にいった。そこにいる「南北友好のシンボル」を取材してルポを書くのも、訪韓の大きな目的だったのだ。

 ところが、肝心の犬が2匹ともいない。病気にでもなったか?と心配していると、飼育員がウリを散歩して帰ってきたのだ。当時、豊山犬の情報は韓国にも日本にもほとんどなかったから、ぼくは飼育員に多くをたずねた。

 すると飼育員が、「日本からわざわざ来てくれてありがとう。記念に散歩させてあげるよ」といいだしたのだ。
 何事も慎重に行動する日本ではあり得ない話だが、そこは韓国人のおおらかさというか、何というか、とにかくラッキーなことに、ぼくはくさりを持ってオリニ動物園を一周したのだ。
 もちろん、犬に何か起こったら、監獄にいくことになるぞ…とビビりながら^^) 因みにそのときトゥリは子どもを産んだばかりで、別室にいた。
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 翌年の2005年、サクラの取材でまたもや、ソウル大公園にいった。当然、豊山犬も気になっていて、オリニ動物園をのぞくと、飼育員はぼくのことをちゃんと覚えてくれていて、「また来てくれたのか!」と、今度はメスのトゥリを散歩させてくれたのだ。
 だから、めちゃめちゃ懐かしいのである。
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 犬の年齢は大きさによって大きく異なる。11歳の小型犬は人間の年で60歳くらい。大型犬なら82歳くらい。ウリとトゥリは中型犬だから、亡くなった国防委員長と同じくらいの年で、70歳くらいだろうか。
 少しでも長生きして、南北の友好を助けてほしいものだ。

 今、韓国でだす、イヌの科学読み物を必死に書いている。
 南北友好のシンボルを散歩させた貴重な経験を持つぼくとしては、もう一度、彼らが注目を浴びるような本にしたいと願っている。
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by kimfang | 2011-12-24 11:07 | 取材ノート
11/10/16 越前市のコウノトリ飼育予定場所を取材
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 16日は、越前市エコビレッジ交流センター指導員、野村みゆきさんの案内で、童心社の編集者とともにコウノトリの飼育予定場所を訪れた。

 5月にいったときは、何もできてなかったのに、すでにケージは完成。あとはコウノトリがやってくるのを待つばかり。
 そばには、巣塔も建てられていた。
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 この巣塔には、40年前に、コウちゃんの保護活動(1970暮れに飛来、71年2月に豊岡へいくまで)をした白山小学校の伝統を受け継ぐようにと、現在の高学年の子どもたちが描いた絵が、描かれていた。
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 今回の放鳥は「段階的放鳥」だ。
 つまりは、親鳥がケージのなかで飼育され、卵をうんで育てたひなは、そのまま放鳥するというやり方だ。
 やがてこの巣塔に、コウノトリがとまる日がくるだろう。

 エコビレッジの野村さんがいった。
「エコビレッジにコウノトリがやってきたので、今度は白山小学校の校舎の屋根にコウノトリがとまるのを見るのが、わたしの新しい夢です」
夢は、着実に前に進んでいる。

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 ところで、紙芝居をだしてくださった童心社の編集者には、どうしても会ってほしい方がいた。
 そう。紙芝居の主人公、コウちゃんだ。

 ついに、ご対面! 
 「遠い東京から、よくぞ会いにきてくださいました!」
 
  コウちゃんも、感激してしるようだった。
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by kimfang | 2011-10-19 15:03 | 取材ノート
11/9/28 初体験、ボルガライス
 市長との対談がおわったあとは、ぼくが紙芝居を実演する10月15日のイベント(コウノトリが舞う里づくり大作戦)の打ち合わせ。
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 おっと、その前に、昼食だ。
 市役所の方が、「何かお望みのもの、ありますか?」とたずねてきたので、
 迷わず「ボルガライス食べてみたいです!」といった。

 じつは先日、テレビの「ケンミンショー」で越前市の地域限定名物料理として、「ボルガライス」が大きく取り上げられた。もちろん、ぼくもその存在を知らなかった。越前市にいくと聞いた友人たちが、一度食べてレポートしてくれといってきた。

 職員の方についていくと、なぁ~んだ、以前にも、きたことのある店。そのときは、「越前そば」が食べたいといって連れてきてもらった。
 おそばや、お寿司をだしている和食の店なのに、本当にあるの?
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 と、店の入り口に大きなメニュー版が。
 あったあった! それも一番上に、ボルガライス! 
 県外、女性の方に大人気!と書いてある。

 ロシアの大河、ボルガ川をイメージしたというその料理は、
 オムライスの上にトンカツ。
 お好み焼きのソースでなく、ちゃんとデミグラスソースなのに、なぜか青のりもかかっている。 ポテトフライもついていた。
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 これはボリューム満点。カロリーもすごいのに…どうして、県外の女性に大人気か、わからない。
 ま、でも、まちがいなく、うまい! 

 すると、一緒にきた記者さんが、越前市といえば「ソースカツ丼」も外せませんよと。
 おー、これもすごいボリューム。何と、カツが三枚も!
 今度は、これに挑戦しなくては。
 
 取材や、講演で訪れた土地の、そこの名物をいただくのも、たのしみのひとつ。
 これも立派な、取材。

 ごちそうさまでした。
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by kimfang | 2011-10-01 07:36 | 取材ノート
11/7/26 日本の公害の原点を取材
 20日、いつか訪れたいと願っていた渡良瀬遊水地を、栃木県側から取材した。
 渡良瀬遊水地は利根川の中流部付近。栃木、群馬、埼玉、茨城の4県にまたがる3,300ヘクタールにものぼる広大な遊水地だ。ぼくがここにこようと思ったのは、ここが、「日本の公害の原点」ともいわれている「足尾鉱毒事件」の「現場」だったからだ。
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 足尾鉱毒事件とは、明治時代に起きた大事件。栃木県日光足尾地区では、江戸時代から銅が採掘されていたが、明治に入ると近代化されて東アジアで一番の生産量を誇るようになる。
 しかし銅の生産時に必要な木炭を得るために木が乱伐され、ハゲ山になっていった。
 山に木がないと保水力が保てない。土砂崩れがひんぱんに起こるようになり、鉱山の毒、鉱毒が渡良瀬川をはじめとする下流に流れでてしまったのだ。流れでた鉱毒で被害にあった人たちは、鉱毒反対運動をおこしたのだ。
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 栃木県選出の国会議員であった田中正造は、国会で何度もこのことを訴えるが、貴重な輸出品であった銅の生産を続けたい明治政府は、頑として認めようとしなかった。
 谷中(やなか)村の将来に危機を感じた田中正造は、村に移り住むなどして抵抗したが、逆に政府は、鉱山の閉山を求める谷中村の人たちを無理やりに移住させてしまうのだ。
 渡良瀬川の鉱毒を無害にしようと、川の流れを変える大工事の末にできたのが、渡良瀬遊水地なのである。 だが、事件から100年以上も過ぎた現在も、いまだに鉱毒は残っているという。

 渡良瀬遊水地は三つの池からなる。とうとうと水を蓄えて青く輝いている第1の池、谷中湖の北側には、今はもう湿地と化した旧谷中村があり、散策できるようになっていた。
 畔には村人たちの名が刻まれた合同慰霊碑がひっそりと立っていた。
 そこで手を合わせて、鉱毒で苦しみ、洪水で苦しみ、さらには故郷を奪われる苦しみに見舞われた村人たちの無念を想った。
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 案内してくださった市役所の方が、「移住先での生活も、たいへん苦労の多いものだったようです」と静かに話された。
 故郷を失った「失郷民」の子孫であるぼくは、在日一世たちの苦しみと重ね合わせた。さらには、原発事故により、「新たな失郷民」となりかねない被災者の方たちとも重なってしまった。
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 そんな哀しいまでの犠牲を払った「公害の原点」を、「自然再生のシンボル」にしようという計画がある。
 現在、第2、第3調整池は干上がって広大な湿地となっている。治水機能を保ちつつも、湿地をそのまま残すような工事を施し、「ラムサール条約」の登録と、再生のシンボルとしてコウノトリを飛ばそうという壮大な計画だ。(写真は第2調整池)
 その「現場」に立ち、旧谷中村の人たちも、きっと、喜んでもらえると確信した。

 さて、栃木県らしいお土産をとさがして見つけたのが、これ。
 U字工事の漫才でもでていたと思う。
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by kimfang | 2011-07-28 22:40 | 取材ノート
11/7/25 来年、コウノトリの飼育をはじめる野田市を取材
 くもん出版より、11月にコウノトリのノンフィクションをだすことになった。
 9月1日には、童心社から『とんだとんだ! コウノトリ』という紙芝居もでる。
 ついでにいうと、07年に韓国でだした『황새 コウノトリ』も、先月、電子書籍化されて発売された。
 ぼくにとって今年は、まさにコウノトリ年である。
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 ノンフィクションは取材が命―。
 正月3日に豊岡市を訪れたのを皮切りに、3月に豊岡市と岡山県・倉敷市、
 5月には福井県・越前市と倉敷市、そしてまたまた豊岡市。
さらには海を越えて韓国へと取材を重ねてきた。
 そしていよいよ、関東に遠征!

 実は、千葉県・野田市は、来年度にコウノトリの飼育を開始する。関東ではコウノトリの知名度はまだまだ高くない。飼育がはじまれば、大きな関心を呼ぶことだろう。
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 台風が接近する最中の19日、コウノトリが飼育される「野田市江川地区ビオトープ」を訪れた。
 利根運河を掘るときにでた土で埋められた三ケ尾沼は、水田として長く米づくりの場として利用されてきたが、農業を営む人が減り、農地も荒れてしまった。一時は宅地開発が予定されるが、計画は白紙に。
 そこで2004年から野田市は、90haにも及ぶ江川地区の保全とビオトープ化を進めてきた。
 その管理と運営は、野田自然共生ファームが行っている。
 今では、水田型市民農園として全国に名が知られるようになったのだ。

 現場にいくと、上空にはサシバの姿。湿地にはカバキコマチグモの産室(このクモは、自らを食べさせることで子どもを守る―母性愛のクモとして有名)、モグラがだした土、カワセミの巣穴など、豊かな自然が広がっていた。
 ここなら、コウノトリが十分暮らしていける。
 この風景のなかにコウノトリがはいるんだ!と思うと、わくわくしてきた。
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 ところで、野田市といえば「しょう油の町」。 写真は、キッコーマン本社と興風館。
 最大手のキッコーマンをはじめとする、しょう油会社がある町だ。
 ビオトープの取材のあと、野田市の職員の方に案内していただいた。
 興風会館や愛宕神社など。
 残念ながらしょう油に関する博物館は、どこも定休日でしまっていた。次回は、必ず訪れたい。
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 ところで、せっかくきたのだから、しょう油の町、ならではのお土産がほしい。
 見つけたのは、「しょう油カステラ」。
 しょう油の香りがほのかに漂う、美味しいカステラだった。
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by kimfang | 2011-07-28 15:23 | 取材ノート
11/7/8 ところ変われば、ふぐ料理も変わる 
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 今回の訪韓の大きな目的のひとつが、韓国環境省に勤めるチョン・ソクファンさんへのインタビューだった。
 チョンさんはコウノトリの飼育技術を学ぶために一年間豊岡へ留学した経験がある。
 何よりも、卵で海を渡って韓国初の人工繁を殖成功させたコウノトリ―チョンチュリの育ての親だ。
 チョンチュリにまつわるエピソードを聞こうと訪ねていった。
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「韓国では私がご馳走しますから」
 チョンさんが連れていってくれたのは「ふぐ料理」。それもプサン式のふぐ料理店。

 ぼくをおどろかそうとして、ふぐ料理をチョイスしたようだが。
 へへへ。
 ぼくはもう何度も、この不思議な「韓国式ふぐ」を食べている。
 わさびを醤油皿にいれて待ちかまえるなど、ぼくの手なれた仕草をみて、「ええっ、食べたことあるんですか…」と、チョンさんはガックリしたようだ。

 そう。韓国のふぐ料理にわさびは欠かせない。ポン酢も、もみじおろしもないが、何とも、このわさびがふぐに合う。
 ふぐの焼き肉にも、ふぐちりにも、このわさびをつける。
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 ぼくがはじめて韓国式ふぐ料理を食べたのは2005年の1月だった。『コウノトリ』や『シマリス』をだしてくたれ出版社、ウリ教育が、日本に帰るぼくのために送別会をしてくれたときに食べておどろいた。

 だって、ふぐちりを、わさび醤油をつけて食べるんだもの!
 おかしいのは、韓国の人たちは日本でも「ちり」はこうやって食べると信じていること。
 因みに韓国でも「ちり」は「지리 チリ」。
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 しかしその後、何度か、この不思議なふぐちりを食べるにつれ、ポン酢のふぐちりよりも美味しく感じるようになってしまった。
 ぶつ切りの骨付きのふぐを、骨ごとしゃぶる。鍋には野菜がたっぷり。

 最後のしめは수제비―すいとん。
 これがまた、美味い。
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 韓国ではふぐ料理は庶民の味。
 朝からでも食べる。
 
 ところ変われば、ふぐ料理も変わるのだ。
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by kimfang | 2011-07-14 14:39 | 取材ノート
11/5/28 仕事(通訳)のあとも仕事(取材)だぜ 
 28日、午前11時40分ごろの電車に博士を乗せた。
 これですべての仕事は終了! 
 もう帰ってもいいのだが、前日の国際WSの報告も兼ねたシンポジウムが開かれている。
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 せっかく、豊岡にいるのに、
 全国から取材対象が集結していのに、
 さらには懐かしい「ハチゴロウ」とも再会したい。
 迷わず、シンポジウム会場に向かった。

 ハチゴロウは、宮崎県、鳥取県、石川県、京都府などを転てんとしたあと、2002年に8月5日に豊岡へやってきた。8月5日にきたので、8(ハチ)と5(ゴ)にひっかけて「ハチゴロウ」と呼ばれるようになった。

「武生」もそうだが、渡りをしているコウノトリがこのように日本にやってくることがしばしばある。
 しかしハチゴロウは、豊岡にきたあとは、もうよそへはいかず郷公園周辺にずうっとすみついたのだ。
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 ハチゴロウの飛来は、コウノトリの野生復帰を目指す豊岡の人たちの長年の苦労が実った結果といっても過言ではない。だって、野生のコウノトリが日本各地を旅してあれこれすみかを探したあげく、最終的に豊岡を選んでくれたのだから。 
 ぼくもハチゴロウに会いたくて、豊岡を何度か訪れていた。

 ハチゴロウは野生の先生だった。
 彼がきてくれたから、コウノトリの放鳥はうまくいった。大功労鳥(者)だ。

 ところが、2007年の2月。
 突然、ハチゴロウは死んだ。死因については諸説あったが、前日の国際WSのなかで、郷公園から放鳥コウノトリとのケンカが原因と思われると発表があった。
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 放鳥コウノトリが、みんなが愛した野生の先生を殺した…

 とても、ショッキングなことだが、コウノトリが強いなわばり意識のある鳥だということを、最後に私たちに教えてくれといえよう。
 みんなに愛されたハチゴロウの記憶を留めようと、彼が愛した湿地は「ハチゴロウの戸島湿地」という名前がついた。
 そこを管理する「コウノトリ湿地ネット」代表の佐竹節夫さんが「ハチゴロウの残したもの」という講演をされた。 

 ハチゴロウ、ありがとう。
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by kimfang | 2011-06-02 13:27 | 取材ノート
11/5/7 倉敷で、えさ捕りのお手つだい
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 数日前に、越前市まで車で往復300キロをいってきたばかり。
 今度は車で往復500キロの道のりで、倉敷市へいった。

 倉敷市には、豊岡でうまれたメスのコウノトリ、J0006が滞在中。
 地元の人たちは、6番からとった愛称、ロクちゃんと呼んでいる。

 写真に写った建物の屋根の上にいるのが、ロクちゃんだ。右隣はアオサギ。
 (小さくてすみません^^)

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 ロクちゃんは、最初は半月だったが、二か月いて、さらには半年というように、段々と滞在期間を延ばしているのだ。

 すごいのは、ロクちゃんは豊岡をでてから一度も故郷へかえることなく、倉敷市と島根県を往復しながら暮らしていることだ。

 こんなコウノトリは今までにいない。すみついてくれればいいのに。
 このまま定着すれば、野生復帰計画にとって、まったく新しいページを開くことになろう。

 ところが今回、島根にいかずに豊岡へいってしまった。
 あ~もう倉敷にはかえってこないのかな?と思っていたら、
 「そんな心配はご無用!」といわんばかりに、すぐに倉敷にかえってきた。

 ロクちゃんが安心して暮らせるようビオトープをつくっていた「倉敷コウノトリの会」の人たちは、「帰ってきて当然」という。(内心、ちょっと不安だったらしい^^)

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 「だって、ロクちゃんの故郷はもう、倉敷だもの」と。
 とはいえ、ビオトープづくりに、ますます力が入るうれしい出来事でもあった。
 
 この日は、ロクちゃんのえさを確保するために近くの川でえさ捕りが行われた。
 川を見て、こんな狭いところに魚がいるのかなぁ?と思っていたら、
 ありゃりゃ、捕れるは捕れる、フナやドンコがたくさんいた。

 ぼくもご覧のように「魚の運搬係」として、汗を流させていただいた。

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 ところで、率先して川に入って魚を捕ってらしたのが、会長の津崎さん。 → 何と、津崎さんは倉敷市の市議さんだ。
 ほかの自治体の議員さんも、見習ってほしいものだ。

 今回の取材で、どこでも実現しなかった、豊岡以外での定着という快挙も見えてきた。

 がんばれ! 倉敷コウノトリの会! 

 全国のみなさんも、応援してあげてください!
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by kimfang | 2011-05-12 21:59 | 取材ノート
11/5/3 唐子が静かに訴えている!
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 黄砂に吹かれて~♪
 そんな悠長に歌なんてうたっていられないほど前日の黄砂はひどかった。
 どう? 今日は晴れるのか? 
 空を見上げても黄色いもやで空が見えない。そんななかを越前市まで車を走らせた。
 
 2004年の3月以来、7年ぶりの越前市エコビレッジ交流センター訪問だ。
 入口の雰囲気からして、以前とはまったく変わっていた。
 コウノトリがお出迎えしてくれるなんて。
「おー、くちばしがおれている。これはコウちゃんの写真だ!」
 と、声をあげていると、指導員の野村みゆきさんが飛んできた。

 コウちゃんの写真の下には、水槽のなかでドジョウがたくさん飼われていた。説明書きには次へのように書かれている。
「一羽のコウノトリを育てるのに500グラムのえさが必要です。ここにいるドジョウ一匹の重さは約8グラムです。コウノトリがすみつくのに何匹必要なのか考えましょう」
頭でわかっていても、実際に見るのとそうでないのでは大ちがい。
 こんなにドジョウがいる、豊かな自然がないと、コウノトリは生きていけないということがよくわかる。
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 それをもっと、ストレートに教えてくれるのが、エコビレッジの奥の部屋に展示されている。コウノトリ―唐子(とうこ)のはく製だろう。

 唐子は、ぼくが絵本に書いたコウちゃんの初孫だ。
 2005年に彼女がまだ卵だったころに会っていたぼくは、彼女が野生復帰してくれることを強く望んでいた。

 2009年10月末。その願いがついにかなって但東町(たんとうちょう)、唐川(からかわ)で放鳥された。
 地元の人たちは、唐川の女の子ということで、唐子と名づけて愛してくれた。
 
 しかし…

 個体識別のために塗られたアニマルカラーが落ちないうちに、変わり果てた姿で見つかってしまった。
 わずか2か月しかたっていない12月の末、三重県で死んでいた。
 死因は、餓死だった。
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 三重県だけの問題ではない。
 日本全国に、コウノトリが生きていける環境がないことを知らせてくれたのだ。
 やっと唐子に会えたのに、はく製になってしまって悔しい。
 けれども唐子は、大事なことを声をださずに静かに訴え続けている。 

 かわいそうな唐子のようなコウノトリが、もうでないようにと、越前市西部地区(白山・坂口)では「コウノトリ呼びもどす農法」が進められていた。
 この日も、カエルたちが盛んに鳴いていた。コウノトリが生きていけるような、生きものを育む田んぼになってほしいものだ。
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 このような取り組みを県内に発信し続けているのが、地元の「福井新聞」。 
 ※アーカイブの2011年5月をクリック。5/3の日記へ。 
 
 2009年の創刊110周年を記念してはじめられた事業が「コウノトリ支局」だった。
 かつてコウちゃんが舞い降りた地の古民家を借りうけ、記者さんたちが常駐し、コウノトリ田んぼなどの話題を提供している。
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 コウノトリ支局のなかに入ると、何と、コウノトリ関係の資料が展示してあったのだが、ぼくの絵本も展示していただいていた。ありがいことである。(左前列)
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 野村さんに、10月の放鳥場所も案内していただいた。

 豊岡以外でははじめての放鳥は、41年前にコウちゃんが舞い降りたところ。

 保護活動を行った白山小学校も近くに見える。

 10月の式典には、かけつけなくては!
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by kimfang | 2011-05-09 14:37 | 取材ノート
11/4/9 今なぜ、福井にコウノトリ?
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 コウノトリを求めて、福井県・越前市にいった。
 実際には今、越前市にはコウノトリはいないから、コウノトリに憑かれた「人」に会いにいったということになろうか。

 コウノトリは豊岡のものと思っている方が大半だろうが、福井県・越前市(当時は武生市)と小浜市は、最後までコウノトリがすんでいたまちで、1964年に日本で最後の野生のヒナ誕生も、実は、福井県・小浜市なのだ。

 その後、1966年を最後に福井でもコウノトリがいなくなる。結局、1971年に豊岡にいた野生最後のコウノトリが死んで、日本のコウノトリは絶滅してしまった。
 けれども2005年に豊岡でコウノトリが復活。
 今年の10月には福井県でもコウノトリの放鳥(※当初はハードリリースも考えられていたが、飼育して生まれたヒナを野生に放つ、ソフトリリースになった)が予定されているから、間もなく福井でも、コウノトリが復活することだろう。
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 ところが、福井にコウノトリがいたことを知らない福井県民は多い。
 しかも、福井でコウノトリが放鳥される意義や意味をちゃんと理解している人も少ないという。
 何とか、しなくては! 
 と、福井各地を飛び回って、「コウノトリもすめる環境づくりをしましょう」と精力的に説いているのが野村みゆきさんだ。

 野村さんは越前市エコ交流ビレッジの指導員を2001年から務めている。
 2003年9月に、「コウちゃんと会うツアー」を企画したことからコウノトリと出会う。
 
 コウちゃんは、1970年に福井県・武生市に舞い降りたたあと捕獲されて豊岡へいって、たった一羽だけのひなをうんだコウノトリで、豊岡では「武生」と呼ばれた。f0004331_1145938.jpg
 ご存じのとおり、ぼくはこの、くちばしのおれたコウノトリのことを2003年に絵本にした。
 翌年の3月に、当時、コウちゃん保護に携わった人びとたちを集めて講演会を開いてくださったのが、野村さんだった。
 
 実は、コウちゃんが飛来した1970年から数えて40年目にあたる昨年、何と、コウちゃんが舞い降りたまちに、また、コウノトリがやってきたのである。
 豊岡から放たれたコウノトリだ。

 おりしも「コウちゃん飛来40周年記念事業」を準備している真最中だった。
 人びとは、コウちゃんの生まれ変わりがきたとよろこんだ。

 「えっちゃん」と名がついたコウノトリは107日間も越前市に滞在して、住民票まで発行された。今は、彼氏と、富山の方へいっている。
 越前市を忘れたわけではない。やがて迎える繁殖適齢期に、どこでひなをうんで育てようか?と各地を回って、品定めしているんだ。きっと、もどってくるだろう。

 コウちゃんの物語を書いた縁もある。福井県のコウノトリ復活を応援する本を書かなくては。

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 さてさて、取材にいくと、そこの名物を食するのもたのしみのひとつ、
 武生にきたのだから、「越前そば」を食べなくては。
 おろしが入ったつゆを、鰹節がかかったそばにぶっかけて食べるのが、こちらの流儀

 うまかった!
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by kimfang | 2011-04-10 11:53 | 取材ノート