動物児童文学作家のキム・ファンです!!
カテゴリ:取材ノート( 68 )

2008/8/18 韓国にトキがやってくる ③
    ウポるたーじゅ ③ 方言おそるべし

 今回の取材で一番苦労したのは、他でもなく、ことば。
 
 ― 何をいってるの? あなた通訳で行ったんでしょ。
 
 そう突っ込まれそうだが、いやぁあ、本場のど田舎の方言は想像を遥かに超えるほど難解だった。
 トキ学校のイ・インシク校長先生はわかりやすい共通語(標準語という表現はあまり好かない)で話してくれたが、地元の人は「ふだんのことば」で話してくる。
 一番、困ったのはレンジャーのおじさん。
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 誰よりも朝早く来て、夜遅くまで密猟者を見張る、それはそれは地元でもとても有名なおじさんで、一生懸命にぼくたちを案内してくださった。

 「沼の中まで案内してあげるよ」、と船に乗せてくれて、小さな体を一杯に使って竿を押しては、船を進めてくれた。

 ところがだ。おじさんは「ふだんのことば」である方言で、しかもとても早口で話すから、何をいっているのか? まったくわからない。
 
 それは「학교」が「핵교 」になるなんていう、初歩的なものではない。名詞も動詞も形容詞も助詞も、みんな、韓国語に聞こえない。知っている単語がほとんどないくらいに難解だった。
 それでも、おじさんは、一生懸命に話す。
 日本の記者さんに伝えたい想いを、このまま無碍にはできない。要点だけでも伝えないと悪い。

 たまらず、「今、何ておっしゃったのかなぁ?」と、
 同行してくださったチョン博士に、小さな声で、もちろん日本語でたずねてみた。
 博士は豊岡市の「コウノトリの郷公園」に留学経験があり、日本語が達者だ。
 すると、
 「何をいっているのか、わたしも、ぜんぜんわからない」と、
 日本語で返しきた。

 おおっ! 韓国で生まれ育ったネイティブの人がわからないのに、日本生まれの在日がわかるはずもない。ほっと胸をなでおろしたものの、今までにも増して、レンジャーのおじさんのことばを伝えてあげたい気持ちになってしまった。

 そんなやり取りを見ていた校長先生が、共通語で補足してくださったので何とか、要点だけでも記者さんに伝えることができた。

 あ゛~それにしても、慶尚南道の方言はエグかった。
 10月のラムサールでは、全羅南道の順天(スンチョン)湿地で通訳をしなくてはいけないらしい。

 絶対、勤まらへんでぇ・・・
 たのむわ、共通語で話してやぁ!
 方言の良さがなくならない程度に ^^;
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by kimfang | 2008-09-02 15:41 | 取材ノート
08/8/18 韓国にトキがやってくる ②
  ウポるたーじゅ② トキ復元の夢

 ぼくたちは沼をあとにして、いよいよトキが収容される施設へと向かった。
沼から少し登った小高いところにその施設はあった。建物も基本的にはできている。あとは内装というところ。
  施設のそばには、ボランティアたちの力ですでにえさ場もできていた。
  工事は着実に進んでいるようだった。建設中の「トキ復元センター」のそばに環境学習の拠点である、「トキの学校」があった。
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 そこには「時の人」ふたりが先に着いていて、ぼくたちの到着を待っていた。
 そう。そのふたりこそは、中国からのトキの譲渡を求める7万名の署名を集めた大学生チョン・ジュンソク君と高校生チャ・ヒョヌク君だった。

 その話に入る前に、韓国人のトキへの想いを語らなくてはいけないだろう。
 韓国の中老年世代なら、誰もが歌える童謡のひとつに『따오기』(トキ)がある。

  見えそうで 見えそうで 見えない
  タオ タオ タオ 鳴き声 物悲しい声
  死ねば いくところ どこに埋まるの
  お母さんが いかれた国 日が昇る国

  国を奪われた悲しみを「お母さんがいかれた国」(二番はお父さんがいかれた国)と表現したこの歌は「半月」、「故郷の春」などと共に韓国を代表する愛唱歌だ。
  この歌は児童文学作家、ハン・ジョンドン(韓晶東 1894-1976)が、32歳だった1925年に東亜日報の新春文芸に当選した代表作だ。
 この詩に、「半月」を作ったユン・クギョンが曲をつけた。

  トキはそのむかし、ロシアのウスリー地区や中国の東北部に棲みながら寒さを避けるためにやってきていた。
  天然記念物にも指定されたが、1979年に確認されたのを最後に、歌でしか会うことができない「幻の鳥」となってしまったのだ。

  話を元にもどそう。
  昨年11月、環境問題を多く扱うテレビ局-マサンmbcは「トキ復元の夢」というドキメンタリー番組を放送した。
番組のオープニング映像
  それを観ていたチョン君とチャ君のふたりは、日本の佐渡島の子どもたちが「トキをください」と署名運動する映像を観て強く心を動かされたという。
 「日本のように大金を準備することはできないけれど、ぼくたちは誠意を伝えたかった」
 ふたりは「ナリン」というインターネット子ども新聞の記者という立場をフル活用し、今年の2月から署名運動を展開。多くの友人に支えられながら、最終的に7万名(ネットで2万)の署名を集めた。
  その誠意は中国の高官に伝わり、ついには、5月のイ・ミョンバク大統領の訪中時に、中国は韓国へのトキ寄贈を約束したのだった。
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 彼らの話に聞き入っていたら、さらにドラマチックな話が出て驚いた。
 「実は、中国のトキに会いにいったその日、四川大地震に巻き込まれて」というではないか。
 彼らはその時の写真を見せながら話を続けた。
 ふたりは中国の研究資料をもらい、実際にトキと対面すべく、トキがいる中国陝西(せんせい)省、洋県を訪ねることになった。
 空港から車に乗り込み、ようやく到着。その直後、四川大地震が発生。「保護センター」のある陝西省も多きな被害がでた。
 もう、トキとの面会どころではなくない。中国当局の配慮で夜通し車で走って命からがら脱出。無事に韓国へ戻ってきたというのだ。
 まるでドラマを見ているような活躍で、ふたりは今や「時の人」だ。

 歌でしか知らない幻の鳥-トキ。
 そのトキを復活させようと長く地道に活動してきた地元の環境NGO。
 彼らの活動を応援しようと制作されたテレビのドキュメンタリー番組。
 その番組の中で佐渡島の子どもたちが署名運動をする姿に心を動かされた学生。
 劇的な署名活動を展開して、ついにトキを譲り受けることに。

 多くの人たちの熱い想いの、そのど真ん中にトキがいる。

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 「トキの学校」では、多くの資料が展示してあった。その中にぼくの『황새(コウノトリ)』も置いてもらいたくて、出版社に送ってくれるよう頼んだところ、快諾。
 イ・インシク校長に本の執筆を頼んでいるところだという。
 
 ならば、ちゃんと展示されるだろう。確かめにいかなくっちゃ。
 
 また、ひとつ、「トキの学校」を訪れるたのしみが増えた。

 
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by kimfang | 2008-08-31 10:21 | 取材ノート
08/8/18 韓国にトキがやってくる!
  ウポるたーじゅ ①  どうして牛の浦?

 8月25日。北京オリンピックを無事?終えた胡錦濤主席が訪韓した。
 でも、韓中友好のシンボルとなるであろう따오기(トキ)はまだ来ていない。
 5月のイ・ミョンバク大統領の訪中時に、突然に決まったことだから韓国側の受け入れ態勢が整っていないのがその理由だという。
 どうやらトキの到着は、10月25日からのラムサール会議直前になりそうだ。トキがやってくる慶尚南道 昌寧(창녕 チャンニョン)郡の牛浦(우포 ウポ)沼とはいったいどのような湿地なのか? 8月18日、実際に現地に行って、見て聞いたことをウポ、いやっ、ルポする。

*       *       *       *       *       *       *     

 昌寧郡は慶尚南道でも北に位置する郡。大邱市の真下に位置し、西には洛東江が流れる。その洛東江や支流が頻繁に氾濫し、水が流れたり溜まったりしてできた湿原がまさに牛浦沼。韓国最大の自然湿地だ。
 ぼくと新聞記者のM氏は、韓国教員大学の鳥類博士、チョン・ソクカンさんの運転する車で、宿泊地の釜谷温泉から昌寧郡へと向かった。
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 車を走らせること一時間半。いよいよ牛浦に着いた! 
 そんな気分にさせてくれる大きな看板。
 でも、あれれっ? カタカナの「ウ」が「う」になっている。
 ま、でも、日本語を看板に入れてくれた「想い(後日触れたい)」は重く受け取った。(直した方がいいと、ちゃんと進言しました)

 駐車場で出迎えてくださったのは地元の環境NGOの代表で、「따오기 학교」(トキの学校)の「校長」であるイ・インシク先生(写真)とエコセンターの学芸員、チャン・ジドクさん。ふたりの案内で牛浦沼を回った。f0004331_14452554.jpg
 駐車場から沼への道のりはあっけないほどすぐだった。たったの470m。
 尾瀬や上高地のようにある程度歩いて行かないと思っていたので、少々拍子抜けした。
 こんなに交通の便がいいところに貴重な自然がそのまま残っていることがうれしくもあり、逆にトキやラムサールで知名度が上がることによって観光客がどっと訪れて壊れてしまわないかと心配にもなった。
 沼へと向かう短い坂道を降りながら、ぼくは一番気になっていた「どうして牛の浦と呼ばれるようになったのか?」という質問をいきなり校長先生にぶつけてみた。
 校長先生はその理由は沼に着けばすぐにわかると微笑んだ。しばらくして先生が沼の向こう側を指差した。緩やかな曲線の山が見える。
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 「どうです? 牛が足を折ってしゃがんで、水を飲んでいるように見えませんか? それで牛浦という地名がつきました」(みなさん、わかりますか?)
 事実、このあたりは한우(韓牛)の一大名産地。昼食はこれも名産の추어탕(ドジョウ汁)だったが、夕食は、焼肉の聖地で韓牛を思う存分堪能した。
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 沼を一回りする途中、多くの子どもたちと出会った。
 「慶尚南道には628の小中高校がありますが、毎日2校ずつ、環境NGOと先生が力を合わせて環境学習をするようにしています。私たちの提案を、道の教育委員会が採用してくれたんですよ」と校長先生は胸を張った。
 ぼくも子どもになった気分で校長先生と学芸員の説明に聞き入った。
 そうして初めて知ったことがある。
 ガン(鳥 기러기)が好んで食べるヒシ(植物 마름)のことだ。日本では天然記念物に指定されているヒシクイ(韓国名 큰기러기)やオオヒシクイ(韓国名 큰부리큰기러기 )。
 その名の「ヒシクイ」というのは、ヒシの実を食べる「ヒシ食い」からついた名前だと気づいたのである。 (左 ヒシのアップ、 右 ヒシの実、 下 ヒシの群落)
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 校長先生はわざわざヒシを採取し、その実も見られるように事前に準備してくださっていた。
 「貧しかった頃は法事に栗を供えることができませんでした。代わりに栗の味に似たこの実を煮たものを供えたのです。だからこの実を물밤(ムルパム ムルは水でパムは栗)と呼びます」
 
 この日、ぼくたちは물밤を食べることはできんなかったが、いつか、ヒシクイになった気分で食べてみたいと思った。
 
 ウボ紹介サイト
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by kimfang | 2008-08-28 14:43 | 取材ノート
08/2/17-18 鉄原にある天然記念物動物治療所に行きました
 韓国と北朝鮮の間にあるDMZ(南北それぞれ2kmの非武装地帯)。その東西の真ん中に位置するのが鉄原。民間人の出入りが軍によって統制される「民統線」の近くに、「天然記念物動物治療所」(色んな呼び名があるがスタッフはこの名前がお気に入り)、つまりは「野生動物の病院」がありました。
 
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 17日の夜遅くに訪れるも、ノスリの手術の真最中。手術後に食事をしながら話を聞きました。 18日の朝に再度取材。すると、また、クロハゲワシ(写真)の手術がはじまりました。
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 このように、ここには、韓国全土から傷ついた野生動物が運び込まれるのです。

 手術室のとなりの部屋には、痛々しい姿のキバノロがいました。この子は、交通事故で尾骨をなくしました。飛び出た骨が筋肉に刺ささる大ケガ。運び込まれるとすぐに手術。どうにか一命を取り留めました。
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 また、ほかの部屋にはヤマネコがいました。工事現場で生まれて間もない兄弟を発見。母ネコが現れるのを待ちましたが帰ってきません。母ネコの身になにかあったかもしれない。しかたなく兄妹を保護。でも、オスは感染症が原因で死亡。メスが治療を受けながら体力の回復に励んでいました。
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 病院の中には自然に帰すための訓練施設(左・クロハゲワシ)があります。ワシミミズクやアオバズク、マガンなどが訓練を受けていました。
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  自然に帰すことのできない動物たちは、近くの自然学習施設で飼育されています。
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  午後からは事務局長さんの案内で、民間人統制区域、すなわち「民統線」の中に入りました。(左は地雷に注意するよう促す看板) 

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 しかし、一歩、「民統線」から出ると、朝鮮労働党舎のような朝鮮戦争を想起させる建物が守られているのに反して、野生動物たちの生息地域が守られていない現実を知ることになりました。
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  近頃の南北和解の機運に乗って、「民統線」が狭くなっているのです。半分になった場所もあるといいます。そう。「民統線北上法案」が可決し、どんどん少なくなくなっているのです。
 南北が統一し、平和が訪れることは願ってもないことです。でも、生きものたちの楽園を壊して欲しくありません。
 問題なのは、鉄原に住んでいた人たちが戦争によって「奪われた」土地を買い戻しているのではなく、ソウルに住むお金持ちが「投機目的」で土地を買っているのです。
 
 動物病院のスタッフは、そのことを悲しげに話しました。
 野生動物病院と、鉄原の現状を伝えるノンフィクションを書きたい、書かねばいけないと感じた取材でした。
 
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by kimfang | 2008-03-16 11:22 | 取材ノート
06/4 長崎ペンギン水族館へ行ってきました。
f0004331_22335161.jpg 2005年4月 フサンアクアリウムからきた「ソガリ」に会うために、長崎ペンギン水族館へ行ってきました。
 長崎ペンギン水族館では、8種類、140羽のペンギンが飼育されている。もちろん、日本最大級!
 けれども、今回の取材はペンギンではなく、ソガリ(和名・コウライケツギョ)。

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 見た目は荒々しいが、その身は白く引き締まっていて、味は淡白にしてほのかに甘い。
 韓国の高級料理、ソガリのメウンタンの食材だ。

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  長崎ペンギン水族館は、2004年にプサンアクアリウムと姉妹水族館提携を結んだ。

f0004331_2238309.jpg プサンでも、ペンギンが飼われている。ペンギン飼育担当者の人的交流と、生きものの交換を行なった。
 長崎側が要請したのが、ソガリだった。

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←館長さんの説明を聞く。

 多くの生きもののなかから、どうしてソガリだったのか?

 詳しくは、こぼれ話「ペンギンがとりもつ姉妹水族館」にて。
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by kimfang | 2006-11-04 22:39 | 取材ノート
05/11/25 「渡り鳥の楽園」、鉄原にいってきました!
 (チョル)(ウォン)は、朝鮮半島の非武装地帯―DMZのど真ん中。かの有名な板門店は、かなり西海岸より。戦争によって人の出入りが統制されている地域だが、皮肉にもそのおかげで「渡り鳥たちの楽園」となっていた。
 ここで羽を休めたマナヅルやナベヅルたちが日本にやってくるのだ。

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3万羽のマガンの群れ

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 鹿児島の出水に渡る前のマナヅル

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 広げると3mにもなるクロハゲワシ。
はるばるモンゴルから渡ってくる。
 ときおり、福井県や京都府、兵庫県などの日本海側に飛んでくることがある。


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 家族なのだろうか? 上空にはタンチョウが舞っていた。
 このタンチョウたちは、鉄原で越冬する。

 いったい、どんな取材旅行だったのか?
 詳しくは、こぼれ話「鉄原に立つ!」にて。

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by kimfang | 2006-08-29 12:56 | 取材ノート
06/3/26-4/21 ヤマネコに会う
 ツシマヤマネコに会いたくて、井の頭自然文化園と対馬野生動物保護センターを訪れました。

f0004331_1233414.jpg 1998年は、東京都と韓国ソウル特別市が友好都市提携を結んで10周年になる年だった。そこで両都市は記念に動物を交換することに。99年、多摩動物公園からコウノトリの有精卵4個が韓国に。そして00年8月に井の頭自然文化園にやってきたのが、トラとマヤというアムールヤマネコだ。

 2006年3月26日 韓国からやってきたヤマネコに会う。

f0004331_1234857.jpg ペアはいきなり10月に3頭の親になるが、子どもは全て死んだ。しかし翌年5月には、ソラ、ユウキ、パラム(風)、アイの4頭を無事に育てている。02年には、ダイチとメアリ(やまびこ)のペアが韓国からやってくるも、妻のメアリが死んでしまったので、ダイチはアイを妻に迎えたのだ。

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 この韓国のアムールヤマネコと同じ種類といわれているのがツシマヤマネコ。

f0004331_12374031.jpg  2006年4月21日 対馬の対馬野生動物保護センターでツシマヤマネコを見た。

 ぼくが見たのは、ネコエイズにかかっていることがわかって、自然に帰れなくなったツシ丸。刺激を与えてはいけないということで写真撮影はできなかった。

f0004331_1238257.jpg 対馬では1980年から、毎年8月に「アリラン祭」を行なっている。

 ヤマネコを通じた交流も盛んになってきた。
 ヤマネコが「現在の通信使」になればいい。
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by kimfang | 2006-04-21 10:55 | 取材ノート
05/1/8 韓国コウノトリ復元センターに行きました。
 1999年3月3日に多摩動物公園から卵で韓国に渡り、韓国初のヒナを生んで「韓国のコウノトリのオモニ」になった(チョン)(チュ)()(青出)に会いに行った。

 1999年は東京都とソウル特別市が友好都市となって10周年の節目に当たる年だった。ソウル大公園から多摩動物公園にアムールヤマネコが、多摩動物公園からはコウノトリの受精卵が韓国教員大学に贈られた。

 海を渡った卵は4個。そのうち3月9日と11日にふ化したメスの(チョン)(チュ)()(青出)とオスの()()()(於藍)の2羽が育った。そしてメスの(チョン)(チュ)()(青出)はドイツからやってきたオスの(チャ)()()(自然)とつがいになり、2002年4月19日に、韓国初となるヒナを2羽かえした!

 これは84年に世界で初めて成功した中国、86年のドイツ、88年の日本(多摩動物公園)に次ぐ世界で4番目の快挙。
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 韓国教員大学内にある、「韓国コウノトリ復元センター」

 案内板もコウノトリ
 (右)パク・シヨン教授
 (左)故キム・スイル教授
 両教授が卵を韓国に運んだ。

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 チョンチュリ(青出)とチャヨニ(自然)の夫婦

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 チョンチュリが産んだ()(ノン)()(韓国初の繁殖成功)

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 繁殖の成功を記念して造られた「高貴なる誕生」の碑

 日本では、「第3回コウノトリ未来・国際かいぎ」に於いて、2005年9月24日に「試験放鳥」が予定されている。僕も参加して後日報告。

 韓国では2008年までに豊岡の「コウノトリ郷公園」のような「野生復帰施設」を造り、2012年に自然放鳥を予定している。
 韓国のコウノトリ(05年5月19日現在33羽)の今は、황새사랑(コウノトリLOVE)を。

 僕は、日・韓国の「コウノトリの野生復帰への取り組み」を描いた児童書『日本のコウノトリも韓国のコウノトリもよみがえれ!』を日・韓両国で出版する予定!
 先に韓国で、『한국의황새도일본의황새도돌아와라!』(韓国のコウノトリも日本のコウノトリもよみがえれ!)が出る予定です。おたのしみに。
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by kimfang | 2005-01-16 12:53 | 取材ノート