動物児童文学作家のキム・ファンです!!
<   2009年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧

09/12/26 トラの絵本 熱く語ります!
 来年は、어흥! (オフーン! トラの吠え声) 寅年。
 と、いうことで、「トラの絵本」読書会をすることになりました。

f0004331_18434069.jpgf0004331_18455111.jpg










 開催日は 2010年 1月 16日 (土) 14時~
 高麗美術館にて行います。


 チョウセントラってどんなトラ?
 トラの出てくる韓国のむかし話には、どんなお話があるの?
 などなど。
 トラと、トラの絵本を熱く語ります! 어흥!
 
さらに、ぼくが韓国の専門家たちと共に選びに選びぬいた5冊の韓国語、トラ絵本を販売いたします!
 (数に限りがあります。売り切れゴメン)

 
 詳しくは、ここをクリック 
[PR]

by kimfang | 2009-12-26 18:47 | トピックス
09/12/11 37年ぶりに、偽者と本者が会った
f0004331_820619.jpg 
 この写真は、ぼくが唯一持っている「本者のキム・ファン」氏の写真。小学6年生、伊勢に修学旅行にいった時のもので、後ろに立っている右側の子が彼。そして、中央に座った帽子をかぶった子が「偽者のキム・ファン」、つまり、ぼくだ。
 今は髪の毛がなくなって涼しいから愛用している帽子だが、どうもぼくは小学校の頃から帽子がトレードマークだったようだ。

 そう。37年の歳月はあまりにも長い。なくなった髪の毛、メガネ無しでは見えなくなった目、ビアンキとシートンを尊敬するあまり生やした口ひげ。自分でいうのも何だが、ぼくの容姿は劇的に変わってしまっている。果たして旧友は、そんなぼくをわかるのだろうか? とても心配だった。

 キム・ファン氏は20年以上勤めた貿易会社を辞めて、3年前から小さな居酒屋を経営していた。出版社を通じてお互いの連絡先を知って以来、電話とメールで再会の日取りを決めたが、彼が今も日本語がとても上手なのに驚かされた。
f0004331_8211244.jpg
 12月11日。午後6時。
 約束通り、キム・ファン氏の経営する日本式居酒屋、「어울렁」(オウルロン)のまん前に車を付けた。

 この日、ぼくは韓国のとっておきの親友たち8人を招待していたのだが、先に着いたぼくは、もう一台の車の到着を車の中で待ちながら、居酒屋の中の様子をうかがっていた。
 すると、店の前に止められた車に気付いたキム・ファン氏が近づいて着た。
 もう待てない! 
 ぼくは車から降りた。
 ちょうどいいことに、もう一台の車も到着してみんな店の前に立った。


f0004331_8223572.jpg
 「おーっ、よく来てくれた」
 「いやー、やっと、会えたね」

 キム・ファン氏は迷うことなくぼくを見つけた。
 ぼくたちは肩を抱き合って、しばらくそのままでお互いの顔を見つめあった。
 高い上背、
 鼻の横の小さなほくろ、
 少し癖のある髪の毛、
 そして忘れもしない優しいあの目。
 ぼくとちがって彼は、37年前とまったく変わっていなかった。

 店に入るなり、帽子をとって見せてたずねてみた。
 「本当に君は変わっていないなぁ。なのにぼくは、こんなに変わってしまって。よ~くぼくがわかったね」
 「ははは。インターネットで、お前の動画を見たからね」
 みんな大笑いした。
f0004331_8243381.jpg
 彼がだしてくれた日本料理の味は、今まで韓国で食べた日本料理の中で一番美味しかった。工業製品の輸入を担当して実績を積んだあとは、食材の輸入も担当するようになったようで、世界を旅して得たその知識は、ぼくの友人の博士(生物学)も舌を巻くほどだった。

 一方、彼もとっておきの友人たちを招待していて、そんな彼の友人たちのリクエストを受けて、彼が歌を披露してくれたが、これがまた、すこぶる上手かった! 
 ぼくたちは、長渕剛の「RUN」と「乾杯」をデュエットして、店に溢れんばかり集まったお互いの友人から喝采をもらった。
f0004331_8253179.jpg
 「名前を使ってもらって感謝している」
 そういってもらえたことが何よりも嬉しかった。

 店名の「어울렁」とは、「어울렁 더울렁」 からとった言葉。仲間と喜びを一緒に楽しむという意味。
 正にそんな夜だった。

 ソウル西大門区 グランドヒルトンホテルの上り坂の手間に彼の店はある。
 よろしければ。みなさんも足を運んでください。
[PR]

by kimfang | 2009-12-26 08:19 | トピックス
09/12/11 우리들의 눈 Another Way of Seeing 私たちの目
f0004331_1417967.jpgf0004331_14182613.jpg
いつもいつも招待状をいただいていたのにいけなかった「우리들의 눈 Another Way of Seeing」(私たちの目)にいくことができた。

そして、電話とメールだけでしか話せなかったオム・ジョンスン画家とようやく会えた。

 1997年から視覚障害を持つ子どもたちの美術教室を主宰する彼女は、「2009 仁川世界都市博覧会」で、視覚障害の子どもたちの美術ワークショップと展示を任された。

 「群盲、ゾウをなでる」という言葉がある。元もとは仏典にでてくる話だ。
 目の見えぬ人たちにゾウを触らせると、キバを触った人は『大根のようです』といい、耳を触った人は『うちわのようだ』といい、足を触った人は『臼のようだ』とおのおのの狭い意見に固執して譲らない、つまり、「全体を知らずに、自分の知っている一部分だけにこだわること」の喩えである。

 オム・ジョンスンさんは、この「寓話」を逆手に取ろうと考えた。「群盲、ゾウをなでる、を創ろう」プロジェクトを企画し、資料を探していたところ、ぼくの『サクラ』(韓国語版)と出会った。5月にソウル大公園へ行き、ゾウの担当飼育員と会い、サクラにも触った。この感動を、ぜひ、子どもたちにも! と、お願いしたが、危険を伴うということで実現には至らなかった。
f0004331_1422737.jpgf0004331_1425789.jpgf0004331_14253192.jpg
 
 







 諦めきれなかった彼女は、3か月間のいろんな挑戦と挫折の末、ついに6月25日、光州動物園にて30名の視覚障害の子どもたちに、ゾウをなでさせ、エサをあげさせ、背中にも乗せた! 
子どもたちはその体験を元に力を合わせて、「ゾウ」を創りあげたのだ。

 惜しくもぼくは日程の調整がつかず、彼らが創った「ゾウの作品」(仁川都市博で展示)をみることができなかった。今回、「全国視覚障害者学生美術公募展」の入賞作品の展覧会の招待状が届き、やっと彼らの作品と会うことができたのである。

f0004331_14363839.jpgf0004331_14371052.jpgf0004331_14373676.jpg


 





     
  
  左は「舌」を描いた。 バイオリンを習っている子は「音」を表した。 右のこの子の作品は、世話してくださる女性の手を描いた。タイトルはズバリ「万能」。

                                     
f0004331_14465412.jpg 
 「怪物」と名づけられたこの作品の前で動けなくなってしまった。

 どうしてわからない、なぜできない、何やってんだ。遅い・・・
 いままで大人たちから数多くの体罰を受けたこの子は、それを粘土にぶつけた。

 叩き、つねり、えぐり…そうして出来上がったのが、この作品だとオム・ジョンスン画家がいった言葉が頭から離れない。

 韓国で初めて点字絵本をだしたオム・ジョンスン画家と、新しい絵本を創ろうと約束した。
[PR]

by kimfang | 2009-12-20 14:18 | トピックス
09/12/11 『巣箱』、国際絵本フェスティバルで展示された
 CJ文化財団が主催する「第2回CJ絵本フェスティバル」でぼくの絵本『둥지상자(巣箱)』が展示された。
 このフェスティバルは、国内外の優れた絵本作家を発掘し出版を支援するために設けられたもの。
 第2回の今回は、51か国から1,565点の新刊絵本とイラストの応募(絵本は635冊)があった。一次、二次審査を経て、最終的には絵本とイラストの各部門別にそれぞれ5作が選ばれて表彰される。
 四人の審査員のひとりは、日本の絵本評論家の柴田こずえ氏が務める。
f0004331_8293247.jpg
 韓国のインターネットを見ていて、驚いたことに自分の絵本が展示されていることを知った。いかないわけにはいかない。取材の合間を縫って訪れた。

 フェスティバル会場(韓国国際交流財団文化ホール)のひとつのフロアーには、世界的な絵本作家であるチェコのクヴィエタ・バツォウスカー氏の作品が展示されていた。
 日本でも『バイォウスカーのABC絵本』(太平社)などの作品で人気の作家さんだ。



f0004331_832151.jpgf0004331_8322595.jpg
 別のフロアーに一次審査を通った新刊100冊とイラスト50作が展示されていた。

 ぼくの『둥지상자(巣箱)』は惜しくも二次審査には進めなかったが、
チャーン! 一次審査通過作品として、(おっほん)展示された。

 惜しくも^^な~んて、と~んでもない。
超有名な絵本たちと一緒に並べていただいただけでもありがたい。大満足だ。
f0004331_834434.jpgf0004331_835620.jpgf0004331_8361474.jpgf0004331_8363398.jpg












 一緒に並んだ一次審査通過の日本の絵本は(韓国で翻訳出版されたから新刊扱い)、『しらないまち』(文・絵 田島征三)、『絵くんとことばくん』(文・天野祐吉 絵・大槻あかね)、『おつかいしんかんせん』(文・絵 福田岩緒)、『くまとやまねこ』(文・湯本香樹実 絵・酒井駒子)という名作たち。

 それもこれも絵を描いてくれたイ・スンウォンさんのおかげ。カムサハムニダ。
[PR]

by kimfang | 2009-12-19 08:27
09/12/10 ♪ はーるばるきたぜ、ソクチョ~
 束草(속초 ソクチョ)にいった。
 東海岸の一番北に位置するここは国立公園の雪嶽山があり、海水浴場がありと、レジャーのメッカとしてにぎわう街だ。だから「冬ソナ」などのドラマにも度々登場する。
f0004331_2232937.jpgf0004331_223516.jpg
 しかしぼくの目的は山でも海でもロケ地でもなく、イカ。
 イカの絵本を書くために、ソウルから約200キロの道のりをはるばるやってきたのだ。

 イカなら「日本海」に取材にいけば済む話だが、韓国でだす以上、「東海」を取材するのがあちらの流儀。そう。東海といえばイカ、イカといえば束草、これが韓国の常識なのである。             

 実は今回、留学生と共に旅をした。ぼくが旅費をだす代わりに彼が宿を提供する。彼のお姉さんはソウルで私設幼稚園経営していて、そちらで泊めていただいた。夜に到着するとあいさつもほどほどに、すぐに酒宴となった。
f0004331_2251116.jpg
 「明日は高速バスなので…」と遠慮していると、「先生、喜んでください。友達が車をだしてくれることになりました」と留学生。これでトイレのことを考えてビールを我慢することもない。みんなで朝の3時まで飲んだ。

 二日酔いでも気合いで出発。待ち合わせの場所に着くと、留学生の親友が待っていた。
 その傍らに、な、なんと、ベンツ! 何でも、会社の社長さんに事情を説明すると快く貸してくださったとか。(日本では、絶対にありえねぇ)
高速バスとベンツでは天と地の差。3時間の快適なドライブを満喫した。

 漁港は、思っていたよりも小さかった。しかし、閑散期なのに結構人がいて、狭い路地の両側に鮮魚や干物を売る商売人がしきりに声をかけていた。
f0004331_2264719.jpg
 さぁ、どこにしようか? 
 束草にきたからにぁ、必ずしなくてはいけない流儀がある。ずばりイカを食うこと。

 店に入って注文すると、しばらくたって皿にテンコ盛りに盛られたイカ刺しがきた。
 チョジャン(酢味噌)だけでなく、わさび醤油もある。昨今は日本食がブームになっていて、刺身をわさび醤油で食べることも普通になってきた。


 さて、そのお味は? 大のイカ好きのぼくが、「忘れられない味一番」にあげてもいいほど、とっても甘いイカだった。
 なのに、どうして? やっぱ、若者たちはそれをチョジャンで食べる。
「うーん、チョジャンの味が強すぎて、イカの味がわからなくならないか?」「それもそうですね」
 若者二人はおじさんの言葉に一度は納得したが、「やっぱ、イカはチョジャンですよ」とその後はチョジャンで食べだした。まぁ、あちらの流儀にも配慮しなくちゃねぇ。ぼくも半分はチョジャンで食べた。

 帰り道、交通の難所として超有名な「寒溪嶺」(한계령 海抜1,004m)はたいへんな霧となった。3m先が見えない状態だ。ライトを上げると乱反射して見えないから、センターラインだけを頼りにのろのろと1時間も走った。
 果たして生きて帰れるのか? そんな想いが頭をよぎったが、どんな時も不安を口にしないのも、あちらの流儀。 ケンチャネー!!!(大丈夫!!!)

 何とか寒溪嶺の頂上にある休憩所にたどり着くも、霧は一向に晴れない。そればかりか、休憩所もシャッターが閉められてしまう始末。こんな景色が見られるはずだつたのに・・・もう戻れない。いくしかない。
 ところが、下りに入るとすぐに霧はなくなったのである! ホント不思議だった!

 イカの甘みと、怖ろしい寒溪嶺の霧は一生忘れることはないだろう。

f0004331_22271925.jpgf0004331_2228546.jpg
 束草には、民族の霊峰・白頭山(北朝鮮)へ向かう国際ターミナルがあった。白頭山へ向かうにはロシアへ入り、中国を経なくてはいけない。

 「東海」には、「日本海」にない「分断の現実」があった。
[PR]

by kimfang | 2009-12-17 21:38 | 取材ノート
09/12/9 熱望! 国立自然史博物館
 またまた韓国にいって帰ってきた。
 元もと今回の訪韓は5月に出した『ペンギン』の講演会が予定されていたのだが、新型インフルエンザの流行で中止とあいなった。ならば、今までいきたくてもいけなかったところへいってやろうと、あちらこちらと飛び回ってきた。収穫は多い。

 それを報告しようとしたら、38度の高熱が出た! まさか、新型もらって帰ってきた? 
 三日たって平熱に戻ったので新型でなくてよかったとホッとしている。
 もしもかかっていたら「だから来るなといったのに^^」と韓国の友人に笑われるところだった。

f0004331_1785090.jpg
 最初の話はソウル市の「西大門自然史博物館」。
 自然史博物館は「自然の歴史」を展示する博物館で、自然の大切さを科学的に学ぶ施設として、その重要性は日に日に高まっている。

 なのに…情けない話だが、それまで韓国には個人や私学が建てた自然史博物館はあっても、公立の自然史博物館はなかった。2003年7月にオープンした西大門自然史博物館は、韓国で初めて公の機関が建てた自然史博物館なのである。
f0004331_17113054.jpg
 韓国といえば「無類の歴史好き」というお国柄。歴史博物館、戦争博物館、民俗博物館などなど、歴史の博物館を次々と建てて、歴史的建造物の復元も数多く手掛けているのだが、自然史博物館にはとーんと関心が向かないようで困っていた。

 ところが近年、「世界(OECD加盟国)で国立の自然史博物館がないのは、韓国だけだ」というきつ~い市民からの批判を受けて、ようやく重い腰があがりつつある。
国立の自然史博物館建設が国会でも論議されるようになり、誘致合戦が繰り広げられるようになった。とにかく、一歩前進だ。
 屋上には恐竜が。 

 さて、韓国の自然史博物館を訪ねたのは今回が初めてではない。梨花女子大学(私学)のそれがいいと聞いていったことがあるが、もうひとつどころか、もうふたつのできでガックリした経緯がある。f0004331_17141565.jpg
 今回も地方自治体が作った博物館なので期待はしていなかった。でも、小さい規模なりにも、親しみやすくわかりやすく展示する工夫が随所にあってなかなかよかった。

 しかし…(おそらくロシアから持ってきたのだろう)シベリアトラやハイイロオオカミのはく製を見せられると、なんで、自国のチョウセントラやチョウセンオオカミを展示できないの? と無理を理解しつつも要求を高めてしまう。
 自治体では限界がある、国立でなければできないものがあるのだ。

 ちなみに、上野にある国立科学博物館には『南極物語』のタロ・ジロも、『ハチ公物語』のハチのはく製だってちゃんと展示してある。めっちゃ、うらやまし~い。

f0004331_17154887.jpg 
新しくできる韓国の国立の自然史博物館(いつになることやら)には、飼い主を探して7か月、300キロも旅をした国民的名犬、珍島犬の「백구」も展示してほしいものだ。
f0004331_171653100.jpg
 企画展「コガネムシ科の昆虫展」がやっていた。三国時代に流行ったとされる「タマムシの羽を花の形に装飾したチマ」や、5万7千匹のタマムシの羽で出来た壁が展示されていた。

f0004331_17171417.jpg
[PR]

by kimfang | 2009-12-16 17:07 | 取材ノート
09/12/3 37年ぶりの再会へ
f0004331_23122333.jpg 月刊『좋은생각 いい考え』10月号にエッセーを書いた。「別れ」がテーマだったので、音信不通の旧友のことを書いたところ、37年ぶりに連絡があった。こんなこともあるんだなぁ~

 親友、キム・ファンへ

 キム・ファン、今、君はいったいどこにいるのか? ぼくが君と同じ名前で作家になって、ちょうど10年が過ぎた。その間、もしも何か「大きな事」を成し遂げたならば、すぐに君に手紙を書こうと思っていたんだ。なのにベストセラーどころか、有名な文学賞ひとつもらえないまま10年が過ぎてしまった。おまけに、まだ、クリーニング店を経営しながら書かなければいけない身分だ。けれども今回、「大きな事」をふたつ成し遂げたなら、君に手紙を書こうと決心していたんだ。

 君は、ぼくが童話作家をしているなんて、考えもつかないはずさ。
 そりゃあ、そうだろう! ぼくたちの記憶は37年前、中学1年生だった1972年7月で途切れてしまったもの。君が韓国に帰る時、ひどいケンカをしたのを覚えているかい? 京都のぼくの家の前で、韓国学校に通っていた君と朝鮮学校に通っていたぼくは『南が正しい』、『北が正しい』とお互いの理念を主張してケンカした。君が別れの挨拶にきたのも知らずに…。

 ぼくが君の名前で活動するのは、ずうっと君に感謝していたからさ。君は朝鮮人ということを隠して「あおやまよしかず」として生きていたぼくの生き方を変えてしまった。小学校5年の時、君が韓国から転校してきた日のことをぼくは今も鮮明に記憶している。

 君は堂々と「キム ファン」という名前を黒板に書いて、自己紹介した。朝鮮人と正直に告白したならば、ひどい差別といじめを受けた時代だったから、君の行動は奇跡のようだった。背が高くて、頭が良くて、運動神経バツグンの君に、ぼくがどれほどあこがれたことか知らないだろう。ぼくが今も左手で食事をするのは、サウスポーだった君のようになりたくて一生懸命に訓練した名残なんだよ。

 6年生の時、『朝鮮人は、朝鮮に帰れ!』とからかわれていじめられていたぼくを君が助けてくれた時、初めて『ぼくも朝鮮人なんだ』と告白したよな。ぼくたちは、すぐに仲良くなったよね。
 これ、わかってくれるかい? 君と日本語でなく、祖国の言葉で話したくて、中学からは日本の学校じゃなくて、朝鮮学校に行くことを決心したっていうことを。

 キム・ファン! 今回、ぼくは「大きな事」をしたよ。今も日本にいるけれど、二冊の本を韓国で出したんだ。それまで韓国で出した本は翻訳者の力を借りたけど、今回はだれの力も借りずに韓国語で書きあげたのさ。ただし、書きあげるのに3年もかかってしまったけどね。
 懐かしいキム・ファン、君がどこにいようとも、もうひとりのキム・ファンに小さな拍手を送ってくれるよな。

        △       △       △       △       △       △ 
 f0004331_2365520.jpg
 雑誌『좋은생각 いい考え』 は、韓国で最も読まれている雑誌のひとつ。表紙画を描いている友人のイ・テスさんが、絵を取りに来た記者さんにぼくの『コウノトリ』を推薦した。

 ぼくは今のように韓国でたくさん仕事をすることになるなんて考えてもいなかった。だから、韓国で初めて出した『황새 コウノトリ』には最初で最後だと思って、ペンネームの由来など、これまでの半生をかなり書いた。 

 
 『コウノトリ』読んだ記者さんがとても感動し、今回のエッセーを書くことになったのだ。

 今月、一緒に『コウノトリ』を創った仲間が見守る中、37年ぶりの再会を果たす予定だ。

 また、報告します。
 
[PR]

by kimfang | 2009-12-03 22:57 | トピックス