動物児童文学作家のキム・ファンです!!
2005/10/22 箕面市立萱野北小学校
f0004331_12441754.jpg 箕面市立萱野北小学校にいきました。1,2年生に日本と韓国の動物の鳴き声のちがいをお話しました。
 韓国からの留学生、鄭碩煥さんが韓国語の鳴き声を熱演! やはり、本国の人の発音はちがう。子どもたちは、日本語の鳴き声を鄭さんに教えました。

  • イヌは? ワンワン      → 멍멍 モンモン
  • ネコは? ニャオニャオ   → 야웅야웅 ヤウーンヤウーン
  • ネズミは? チューチュー  → 찍찍 チクチク
  • カエルは? ケロケロ    → 개굴개굴 ケグルケグル
  • トラは? ガオー       → 어흥 オフーン
  • ツクツクボウシは? ツクツクボウシツクツクボウシ
             → 고추고추고추씨알 コチュコチュコチュシアル
    (※ちなみにこれは、トウガラシ トウガラシ トウガラシのたね という意味)
 鄭さんは、博士号を持つコウノトリの研究者。最後に鄭博士からコウノトリのお話を聞きました。
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# by kimfang | 2006-01-12 12:38 | トピックス
05/1/8 韓国コウノトリ復元センターに行きました。
 1999年3月3日に多摩動物公園から卵で韓国に渡り、韓国初のヒナを生んで「韓国のコウノトリのオモニ」になった(チョン)(チュ)()(青出)に会いに行った。

 1999年は東京都とソウル特別市が友好都市となって10周年の節目に当たる年だった。ソウル大公園から多摩動物公園にアムールヤマネコが、多摩動物公園からはコウノトリの受精卵が韓国教員大学に贈られた。

 海を渡った卵は4個。そのうち3月9日と11日にふ化したメスの(チョン)(チュ)()(青出)とオスの()()()(於藍)の2羽が育った。そしてメスの(チョン)(チュ)()(青出)はドイツからやってきたオスの(チャ)()()(自然)とつがいになり、2002年4月19日に、韓国初となるヒナを2羽かえした!

 これは84年に世界で初めて成功した中国、86年のドイツ、88年の日本(多摩動物公園)に次ぐ世界で4番目の快挙。
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 韓国教員大学内にある、「韓国コウノトリ復元センター」

 案内板もコウノトリ
 (右)パク・シヨン教授
 (左)故キム・スイル教授
 両教授が卵を韓国に運んだ。

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 チョンチュリ(青出)とチャヨニ(自然)の夫婦

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 チョンチュリが産んだ()(ノン)()(韓国初の繁殖成功)

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 繁殖の成功を記念して造られた「高貴なる誕生」の碑

 日本では、「第3回コウノトリ未来・国際かいぎ」に於いて、2005年9月24日に「試験放鳥」が予定されている。僕も参加して後日報告。

 韓国では2008年までに豊岡の「コウノトリ郷公園」のような「野生復帰施設」を造り、2012年に自然放鳥を予定している。
 韓国のコウノトリ(05年5月19日現在33羽)の今は、황새사랑(コウノトリLOVE)を。

 僕は、日・韓国の「コウノトリの野生復帰への取り組み」を描いた児童書『日本のコウノトリも韓国のコウノトリもよみがえれ!』を日・韓両国で出版する予定!
 先に韓国で、『한국의황새도일본의황새도돌아와라!』(韓国のコウノトリも日本のコウノトリもよみがえれ!)が出る予定です。おたのしみに。
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# by kimfang | 2005-01-16 12:53 | 取材ノート
絵本『くちばしのおれたコウノトリ』
f0004331_1146082.gif絵本・ちきゅうのともだちシリーズ

今度はノンフィクション(実話)!
絶滅したコウノトリを 再び大空へ
そんな熱い想いを絵本にしました!

キム・ファン 文 / あらた ひとむ 絵
素人(そじん)社
2003年11月発売 1500円(税別)

ストーリー
 1970年12月。
 福井県武生(たけふ)に一羽のトリがまいおりると、町は大さわぎになりました。
 それもそのはず、そのトリは日本に二羽しか残っていない特別天然記念物―コウノトリだったからです。
f0004331_11474262.gif ところが、大さわぎの原因は、それだけではありませんでした。
まいおりたコウノトリのくちばしが、約八センチもおれていたからです。
 町は白山(しらやま)小学校のせいとに、コウノトリを見守るようたのみました。
せいとたちはコウノトリを「コウちゃん」と名づけ、エサ場を作ったりフナを集めたりして見守りました。
 けれども、コウちゃんは日に日にやつれていきました。・・・・・・

「あとがき」より
f0004331_11501081.jpg 20世紀、人類は126種で145の野生復帰計画をおこないました。しかし、成功と呼べるものは、15種の16計画だけです。コウノトリの野生復帰計画も、まだ、成功してはいません。それほど自然は繊細で壊れやすく、一度失うと、容易には元に戻らないのです。けれども、コウノトリは、どんなに時間がかかっても、人間の手で自然に帰してやらねばなりません。なぜなら、彼らはわれわれの身代わりになって自然の大切さを教えてくれたのですから。
f0004331_115148.jpg  この物語を書くにあたって、こころよく取材に協力してくださった、松島興治郎飼育長、佐藤稔主任飼育員、佐竹節夫「コウノトリ文化館」館長、つたない文章にあたたかい助言をくださった梓加依先生(京都学園大学)、そしてすてきな絵をつけてくださった、あらたひとむさんにお礼を申し上げます。
 動物児童文学作家 キム・ファン)

豊岡市立コウノトリ文化館・コウノピア
館長 佐竹節夫さんのメッセージ

f0004331_11532351.jpg みなさん、こんにちは。私たちは、兵庫県の日本海側にある豊岡市で、コウノトリをもう一度自然の中に帰し、大空で自由に羽ばたかせてやる事業に取り組んでいる者です。
 先ほど、金先生からお話しがあったように、コウノトリは30年も前に日本の空から姿を消してしまいました。今では、たまに日本のどこかに大陸から渡ってくるだけです。それも冬の間だけで、大体が仲間とはぐれた1羽だけです。なぜ、コウノトリは日本からいなくなってしまったのでしょう。なぜ、大陸からたくさんのコウノトリが日本に来て、定着してくれないのでしょう。
 コウノトリが家の屋根に巣をかけている写真を見たことがありますか。そう、コウノトリは人間が暮らしているところが好きなのです。言い方を変えれば、コウノトリは、もともと人間と一緒に暮らさなければ生きていけない鳥なのです。それをかつての人々は、人間に都合のいいことだけを考えて、コウノトリのことは考えませんでした。だから、コウノトリは居場所がなくなり、追い出されて、とうとう滅んでしまったのです。そしてこれは、昔の話しだけではありません。今でも日本にはコウノトリを快く迎えてくれる場所がないので、やっぱり定着できずにすぐ大陸に帰ってしまいます。
 最近になって人々は、コウノトリが暮らせないような環境は、自分たち人間にとってもいい環境ではないことが分かってきました。公害問題が起こったり、自然が少なくなって災害が起こったりするからです。そこで、自然保護や動物のことを考え、守っていく人々が増えています。金先生は、特に熱心な方だと思います。
 豊岡市では、36年前からコウノトリを人工飼育しており、今では71羽にまで増えてきました。今年も赤ちゃんが生まれそうです。たくさんの数になったので、かつてコウノトリが暮らしていた同じ場所に放してやる計画をしています。また過去と同じように人間が追い出したら、今度こそコウノトリは全滅してしまいます。そして日本全体が人間も住みづらい国になってしまうでしょう。だから、コウノトリが帰ってきても安心して暮らせるように、一生懸命に環境づくりに取り組んでいるところです。だけども、それには長い年月がかかります。大人の人だけではとても時間が足りませんので、次の世代の人にバトンタッチしていかなければなりません。
f0004331_11573275.jpg そうです。
 みなさんの手にかかっているのです。今日の金先生の話しを思い出して、みなさんの近くにいる動物、たとえば小鳥やカエルに興味がでてきたら私たちもうれしいです。
 できたら彼ら、生きものの様子を観察してください。きっといろんな発見ができると思います。同じように、友達のことも外国の人のことも少しよく見ると、今までと違った面が分かるかもしれません。私たちはそれを、「共生」への第1歩と考えています。
 もし機会があれば、コウノトリ文化館にお越しください。コウノトリと一緒に歓迎します。
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# by kimfang | 2003-11-17 11:25 | 出版物
絵本『のんたとスナメリの海』
f0004331_14272787.gif絵本・ちきゅうのともだちシリーズ

瀬戸内の漁師 のんた と スナメリ との物語
いつまでも 人間とスナメリが
共生できることを願って

キム・ファン 文 / 藤井広野 絵
素人(そじん)社
2002年5月発売 1500円(税別)

ストーリー
f0004331_14291627.jpg むかしむかし瀬戸内の三角島に、のんたという漁師が住んでいた。のんたは貧しくて網も買えなかったが、のんびり暮らせて幸せだった。ある日、村のおかしらが一匹のスナメリの目を砕いてからというもの、三角島の海ではタイやスズキが釣れなくなった。焦った村人は、きたうら(日本海側)がクジラ漁で潤っていると聞くや、自分たちの網をつないでクジラをとることにする。ところが、やって来た大クジラは村人の網を全部持って行ってしまう。途方に暮れる村人を救うべく立ち上がったのんたは、やがて、「スナメリ網代漁(あじろりょう)」を思いつく!

「あとがき」より
f0004331_14295112.jpg 瀬戸内海にうかぶ阿波島には、スナメリをまつった祠があります。漁師さんたちのスナメリへの感謝の気持ちの印です。ぼくは祠の写真を見ながら、「スナメリ網代漁」を最初に思いついた人はいったいどんな人だったんだろう? と考えました。きっと、人にもスナメリにもやさしい、とても心のゆたかな人のはず。そんな漁師さんやスナメリに会いたいなぁと思い、瀬戸内海へでかけました。
 けれども、祠のある天然記念物に指定されている広島県竹原の海には、スナメリはおろか、漁師さんの姿さえありませんでした。今、瀬戸内海のスナメリは、長島や祝島がある山口県の上関地区に残っているだけで、ほかの地域ではほとんど見られなくなっています。なのに、この上関の長島に、原子力発電所が建設されようとしているのです。もしも原子力発電所が建設されれば、わずかに残ったスナメリにも大きな影響がでることにまちがいありません。人の手におえない原子力発電所という「大クジラ」を追いかけるのではなく、「小さなクジラ」スナメリと暮らしてきたことを、この物語を読んで思いだしてほしいと願っています。
 ぼくにこの物語を書くことをすすめてくださった「長島の自然を守る会」のみなさま、貴重なスナメリのお話を聞かせてくださった祝島をはじめとする瀬戸内の漁師のみなさま、広島県での取材に協力してくださった吉田徳成さん、竹原市立図書館館長の玉田静男さん、つたない文章にあたたかい助言をくださった京都学園大学の梓加依先生、立派な解説文を寄稿してくださった帝京科学大学の粕谷俊雄先生、そしてすてきな絵を描いてくださった藤井広野さんにお礼を申しあげます。
   2002年3月 動物児童文学作家 キム・ファン

解説文
 粕谷俊雄 教授 (帝京科学大学アニマルサイエンス学科) より解説文を寄稿していただきました。
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# by kimfang | 2002-05-17 14:15 | 出版物
スナメリの生物学
スナメリの生物学(せいぶつがく)  帝京(ていきょう)科学(かがく)大学(だいがく)アニマルサイエンス学科(がっか) 粕谷(かすや)俊雄(としお)

 スナメリはクジラでしょうか? それともイルカでしょうか? 動物学的(どうぶつがくてき)にはクジラもイルカもクジラ(もく)というグループにふくまれます。クジラ(もく)はさらにハクジラ亜目(あもく)とヒゲクジラ亜目(あもく)()けられ、()わせて70-80(しゅ)()られています。そのなかで(からだ)(おお)きく雄大(ゆうだい)(しゅ)をクジラと()び、小さくてすばしこい(しゅ)をイルカと()習慣(しゅうかん)世界(せかい)国々(くにぐに)にあります。クジラとイルカの()(かた)は、動物学的(どうぶつがくてき)分類(ぶんるい)とは関係(かんけい)がなく、その境目(さかいめ)(おお)きさもあいまいで、コマッコウのようにどちらに()けるべきかよくわからない(しゅ)もあります。
 物語(ものがたり)登場(とうじょう)するスナメリは、ハクジラ亜目(あもく)ネズミイルカ()の1(しゅ)です。日本(にほん)()られるクジラ(もく)(なか)では1(ばん)(ちい)さく、世界中(せかいじゅう)でも(ちい)さい(ほう)から1-2(ばん)(おお)きさです。おとなのスナメリは体長(たいちょう)1.5-1.8m、体重(たいじゅう)60kg、(ひと)ほどの(おお)きさです。()ビレがなく、全身(ぜんしん)灰色(はいいろ)(あたま)がまるく、かわいい(かお)をしています。(あたま)のてっぺんに(はな)(あな)がひとつあり、ヒフの(した)左右(さゆう)()かれてのどに()かっています。()(うし)ろにエンピツの(さき)()いたような(ちい)さなくぼみがありますが、これが(みみ)(あな)です。 (くち)には(ちい)さな()上下(じょうげ)左右(さゆう)15-20(ぽん)はえています。
その分布(ぶんぷ)は、西(にし)はペルシャ(わん)からインド・東南(とうなん)アジア・黄海(こうかい)をへて、日本(にほん)仙台湾(せんだいわん)山陰(さんいん)沿岸(えんがん)にまで(ひろ)がっています。本来(ほんらい)(あたた)かくて50mより(あさ)(うみ)(この)むのですが、(きた)仲間(なかま)(さむ)さにも適応(てきおう)して、(ふゆ)水温(すいおん)が5℃以下(いか)にさがる黄海(こうかい)日本(にほん)近海(きんかい)にも生活(せいかつ)するようになりました。また、中国(ちゅうごく)揚子江(ようすこう)では河口(かこう)から2000km上流(じょうりゅう)にまで分布(ぶんぷ)(ひろ)げ、一生(いっしょう)をそこで()ごす仲間(なかま)もいます。5-6 (さい)大人(おとな)になると、2(ねん)に1()、1(とう)()どもを()みます。寿命(じゅみょう)は15-20(ねん)です。
 ところでスナメリは回遊(かいゆう)をしないので(とお)くの仲間(なかま)とあまり()がまざらないことから、産地(さんち)ごとの(ちが)いが()られています。日本(にほん)では九州(きゅうしゅう)西海岸(にしかいがん)大村湾(おおむらわん)有明海(ありあけかい)の2つのグループは(あき)()どもを()みますが、瀬戸内海(せとないかい)伊勢湾(いせわん)三河湾(みかわわん)東京湾(とうきょうわん)から仙台湾(せんだいわん)までの3つのグループは初夏(しょか)()どもを()みます。(あたま)(ほね)遺伝子(いでんし)にも産地(さんち)ごとに微妙(びみょう)特徴(とくちょう)があります。これらのグループを個体群(こたいぐん)()びますが、研究(けんきゅう)がすすめば日本(にほん)のスナメリに6番目(ばんめ)個体群(こたいぐん)()つかるかもしれません。
 それぞれの個体群(こたいぐん)安全(あんぜん)()きられよう(ねが)っていますが、現在(げんざい)わかっている生息数(せいそくすう)はさまざまで、大村湾(おおむらわん)個体群(こたいぐん)は500(とう)以下(いか)、その()個体群(こたいぐん)ではどれも数千頭(すうせんとう)といわれています。(わたし)は1976年、仲間(なかま)二人(ふたり)でフェリーボートを()りついで、瀬戸内海(せとないかい)のスナメリの分布(ぶんぷ)(かず)三年(さんねん)がかりで調(しら)べました。そのころの瀬戸内海(せとないかい)は、工場(こうじょう)はい(すい)下水(げすい)汚染(おせん)(すす)んでいて、漁師(りょうし)さんの(あみ)奇形(きけい)(さかな)がかかり新聞(しんぶん)話題(わだい)になったり、赤潮(あかしお)発生(はっせい)(さかな)()(こと)もしばしばありました。スナメリはその(うみ)小魚(こざかな)やエビ、イカなどを()べて生活(せいかつ)していましたので、きっと(わる)影響(えいきょう)がでるに(ちが)いない、(いま)のうちにかれらの生態(せいたい)()ておく必要(ひつよう)があると(かんが)えたのです。それでも当時(とうじ)は、4-5(がつ)になると瀬戸内海(せとないかい)のどこにも()まれたばかりで(くろ)っぽい(いろ)(あか)ちゃんスナメリがあらわれ、灰色(はいいろ)のお(かあ)さんと(およ)いでいるのが(あき)まで()られました。()どもは(ふゆ)までにはひとり()ちをするらしく、エサの()(まえ)をもらおうとして、カモメなどの海鳥(うみどり)がスナメリの(うえ)()っていました。
 ところが前回(ぜんかい)調査(ちょうさ)から23(ねん)がすぎた今回(こんかい)心配(しんぱい)していた(こと)現実(げんじつ)となってしまいました。1999(ねん)から2(ねん)をかけて(むかし)(おな)航路(こうろ)をとおって瀬戸内海(せとないかい)のスナメリを調(しら)べてみたところ、スナメリは、どこでも前回(ぜんかい)よりも(すく)なくなっていたのです。発見数(はっけんすう)周防灘(すおうなだ)では7-8(わり)でしたが、(ほか)(うみ)では1(わり)以下(いか)というおそろしい結果(けっか)でした。(むかし)から広島(ひろしま)県竹原(けんたけはら)(おき)にはスナメリが(おお)く、タイ()りの漁師(りょうし)さんに協力(きょうりょく)するといわれ、1930 (ねん)にその海面(かいめん)天然(てんねん)記念物(きねんぶつ)指定(してい)されました。ここは前回(ぜんかい)調査(ちょうさ)ではスナメリがいつもたくさん()られた場所(ばしょ)でしたが、今回(こんかい)調査(ちょうさ)では何度(なんど)おとずれても1(とう)()つからなかったのです。
 瀬戸内海(せとないかい)のスナメリはなぜへったのでしょうか? ()めたてや、砂利(じゃり)()ることで、スナメリのすみかがこわされてきたからです。漁師(りょうし)さんの(あみ)にかかって()事故(じこ)(すく)なくありません。それだけではなく、汚染(おせん)された(さかな)()べるので、体内(たいない)にDDT、PCB、有機(ゆうき)スズなどの(ひと)が作った毒物(どくぶつ)がたくさんたまってしまい、(よわ)(あか)ちゃんが()まれたり、寿命(じゅみょう)(みじか)くなってしまったことも原因(げんいん)でしょう。(わたし)はこれらのことが(かさ)なり()ってスナメリがへったと(かんが)えています。 
 残念(ざんねん)なことに、このようなことは瀬戸内海(せとないかい)のスナメリだけでなく、日本(にほん)国内(こくない)(べつ)個体群(こたいぐん)もおなじ危険(きけん)にさらされているのです。また、スナメリだけでなく、汚染(おせん)された(さかな)()べる人間(にんげん)にも(わる)影響(えいきょう)がでるかもしれません。
 スナメリを(まも)ることは人間(にんげん)(まも)ることにもつながっているのです。
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# by kimfang | 2002-05-17 12:50 | 出版物
童話作家のこぼれ話 (2)
「コウノトリの悲劇」(改訂版)

f0004331_1217591.gif 内親王誕生で、コウノトリがにわかに「売れっ子」になった。コウノトリを愛する者のひとりとして大変嬉しく思っているが、国の特別天然記念物にもかかわらず、相変らずこの鳥に多くの「悲劇」が付きまとっている現実にふれるたび、心が重くなる。
 「悲劇」のひとつ目は、ヨーロッパの「コウノトリ」シュバシコウと間違えられていることだ。このシュバシコウこそが、「赤ちゃんを運んでくる鳥」で、コウノトリには、「赤ちゃんを運んでくる」といういい伝えはない。くちばしの赤いシュバシコウのいい伝えをそのまま「輸入」したので、このようなことになってしまったのであろうが、コウノトリはくちばしが黒く、シュバシコウとは明らかに違うのだ。まぁ、シュバシコウと間違えるのなら、まだマシで、赤ちゃんを運ぶイメージから、ペリカンと間違えている人がいるのが現実だ。
 「悲劇」のふたつ目は、「ツル」と間違えられてきたことだ。コウノトリは大木の上に巣を作るのだが、ツル(タンチョウ)は、木の上には重くてとまれず、巣も地上の湿地に作る。日本では古来、松とツルが「おめでたいもの」とされてきたので、松にとまるコウノトリは、いつの間にか「おめでたい」ツルと混同されてしまった。あげくの果てには、「ツルの恩返し」という昔話でも、ツルと取り違えられてしまった。渡りをせず、人里で古くから日本人と暮らしてきたコウノトリに対して、ツルは渡りをし、しかも人が踏み入れることのない湿地で暮らしてきたのだ。だから本当は昔話も、人とともに暮らしたコウノトリが恩返しをする、「コウノトリの恩返し」とならなければいけなかったのである。
 しかし、何といっても最大の「悲劇」は、一九七一年にコウノトリが絶滅し、この日本で、その姿を見ることができなくなったことだろう。肉食のコウノトリは、農薬に汚染されたフナやドジョウを食べたせいで繁殖力が弱くなり、絶滅したのだ。
 ところが今、一度絶滅したコウノトリを外国から譲り受け増やし、もう一度野性に返そうという試みが兵庫県豊岡市の「コウノトリ保護増殖センター」で行われている。センターでは約四十年をかけて七十羽にまで増やした。日本各地の施設で増えたコウノトリは、今では百二十羽にのぼる。数年後には、「放鳥」できる段階に入るが、農薬に汚染されていないエサが豊富にある環境を作ってやらなければ、また、絶滅してしまうことだろう。そんな話をすると、今度はトキと間違えられるというのが、おまけの「悲劇」だ。
 日本のどこにでもいたコウノトリ。国の特別天然記念物のコウノトリ。日本人がコウノトリのことをまったく知らないことが、本当の「悲劇」なのかもしれない。
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# by kimfang | 2001-11-16 00:02
絵本『ジュゴンのなみだ』
f0004331_22224590.gif絵本・ちきゅうのともだちシリーズ

沖縄の海でくりひろげられる
心やさしいヤンじいさんと、
ジュゴンのザンのお話

キム・ファン 文 / あらた ひとむ 絵
素人(そじん)社
2001年7月発売 1500円(税別)

ストーリー
f0004331_22231136.jpg ザンは沖縄に住むジュゴン。ある日、船でやって来た人たちが、沖縄の海に「しま」を作りました。「しま」はジュゴンを捕まえるワナ。そうとは知らず近づいたザンは捕らえられてしまいました。ジュゴンの肉を食べれば八百年も生きられる。お金持ちは大金を積んでジュゴンの肉を手に入れようとしていたのです。あやうく殺されそうになったザンを、やんばるの森に住む、やんじいさんが助けてくれました。
 数日後、沖縄に津波が来ることを知ったザンは、かあさんジュゴンが止めるのも聞かず、やんじいさんにしらせに向かいます。ところが……

「あとがき」
 この物語は、沖縄に伝わる民話を元に書きました。
だれもが知っている「ツルの恩返し」のように、沖縄に伝わるこの民話も、より多くの人に知って欲しかったのです。
それは今、沖縄に住むジュゴンが悲しみのなみだにくれているからです。
海の汚染。基地の建設。網による事故死。
ザンの前に現われた「しま」がまた、沖縄の海に現われようとしています。
 「悲しなみだ」にくれている沖縄のジュゴンたちのなみだが、「うれしなみだ」にかわるよう、多くの人がやんじいさんになってくださることを願っています。 
 この絵本を書くため、資料収集に奔走してくださった山川義保、吉崎恵美子さん、つたない文章にあたたかい助言をくださった梓加依さん、すてきな絵をつけてくださった、あらたひとむさんにお礼を申し上げます。

巻末の言葉
f0004331_2227421.jpg 宮城康博氏より、とってもわかりやすい言葉をいただきました。ありがとうございます。 (宮城康博 なごなぐ雑記

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# by kimfang | 2001-07-20 22:17 | 出版物
児童文学『ニジクジラは海の虹』
f0004331_484841.jpg丹後半島の青い海を舞台に、
日本と朝鮮半島のダブルネ-ム
を持つ少女とニジクジラの物語

キム・ファン 文 / あらた ひとむ 絵
遊タイム出版
2000年11月発売 1200円(税別)

第1回健友館文学賞入賞作品
清水寺貫主・森清範さん推せん。
今までなかったスケ-ルの大きな動物児童文学!
 【小学校高学年以上向き】

f0004331_4114475.jpgストーリー
 古代(こだい)・両(りゃん)・友)は、日本と朝鮮半島の友好のために贈られてきた国際保護動物ニジクジラに会いに水族館へ。 
そこで、伝説の主クジラを追う少年と出会うが・・・。
 誤解を越えて生まれた友情が、丹後半島の青い海から国の境を越えて広がる。
 
寄せられた感想&反響
淡路島・安乎中学校の子どもたちから、うれしい感想が寄せられました

2000.12.14 京都新聞 複合姓を持つ少女の物語
 重いテーマを心温まるファンタジーに

2000.12.24 朝日新聞 国籍とらわれぬ生き方を
 虹色クジラが主人公 教師ら後押しで出版               

2001.2.8 毎日新聞 二つのルーツを受け入れる少女
 国籍の違い越え共生を 「タブル」正面から描く

2001. 1 ウィクリー出版情報(日販図書館サービス)
 「この本が読みたい」重い「思い」を届ける
 「作者に動物と人間の融和という普遍的なものを描こうという姿勢がうかがえるし、いかに重い『思い』をたのしい童話作品に昇華させようかという努力がうかがえて好ましい」 かわの たかし氏

日本児童文学者協会 事務局長 藤田のぼる氏
 「在日の方たちの問題は、これまでは日朝・日韓の関係にささったトゲのように意識されてきたと思いますが(日本人としては、そのトゲの痛みをきちんと認識していくことが大切と思いますが)今度の御作では、ダブルネームに象徴されるように、むしろそれが日朝・日韓の橋渡しとなっていることを、うれしく思いました」            

日本児童文学者協会 国際部長 中尾 明氏
 「日本と朝鮮・韓国の歴史や交流を踏まえたスケールの大きな童話です。日朝(ダブル)の少女とニジクジラの物語は、ファンタスティックで、子どもたちの心を打つにちがいありません」
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# by kimfang | 2001-01-11 04:05 | 出版物
著作権について
 このサイト内の「絵、イラスト等」には、著作権があります。
 また、写真についても、関係者の承認を得て掲載しているものがあります。
 無断で複写、複製、転載することを禁じます。


 児童文学「ニジクジラは海の虹」、絵本「ジュゴンのなみだ」、絵本「くちばしのおれたコウノトリ」に関する「絵、イラスト」の著作権は、あらた ひとむ氏にあります。(あらた ひとむ氏のWEB SITE

 絵本「のんたとスナメリの海」に関する「絵、イラスト」の著作権は、藤井 広野氏にあります。

 「mie」とサインされた「絵、イラスト」の著作権は、ペク・ミエ氏にあります。(ただし、一部、サインされていないものもあります。)

 その他の「絵、イラスト等」についても、作者は著作権は放棄していません。

 なお、私(キム・ファン)の文章も著作権がありますので、よろしく。
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# by kimfang | 2001-01-01 00:00