放鳥場所にいくと、
「豊岡市長さまは3番の箱にいってください」
と案内された。
急いで箱の写真を撮る。するとその箱の前で待機していたのは、先ほどの記念式でスピーチされた、ナ・ソナ文化財庁長官だった。
いよいよ最初のコウノトリが放たれる。歩いてしまわないだろうか? ちゃんと飛んでくれるだろうか? 心配でたまらない。
司会者の合図で、テープが切られた。最初のコウノトリは力強く羽ばたき、見事に禮山の空を舞った。
その瞬間、
「うわぁ―」というどよめきがあった。
飛ばす人も見守る人も、大臣も市民も、韓国人も日本をはじめとする海外からきた人も、みんなひとつになった。
最初のコウノトリを見あげていると2羽目が飛び、あわてて司会者の言葉を訳した。
「市長、テープを切ってください!」
文化財庁長官と豊岡市長がともにテープを切って放った3番目のコウノトリは、一番長くきれいに大空を飛んだ。
この日、箱を開く形のハードリリースで放鳥された成鳥のコウノトリは6羽。ケージの天井を開く形のソフトリリースで放鳥された幼鳥は2羽。計8羽のうち2羽が豊岡から譲られたコウノトリの子孫だ。
大空を舞うコウノトリを見ていて、10年前の豊岡での放鳥を思いだした。あのときもぼくはパク・シリョン教員大教授の通訳として式典に参加し、教授が5羽目のコウノトリを松島興二郎飼育長とともに放ったのを「飛ばす側」で間近に目撃した。
あの日ぼくは、いつか訪れるだろう故国韓国のコウノトリ復活を全力で手伝おうと心に決めた。
そしてその日が現実のものになり、この日また、豊岡市長の通訳として「飛ばす側」で間近でそれを目撃した。
日韓の放鳥式典の両方に参加したのは10名ほど。そして「飛ばす側」にいたのは中貝市長とパク教授、そしてふたりの通訳としてそばにいたぼくの3名だけだ。
この栄誉は、それまでの働きに対するご褒美なのだろう。
前日のフォーラムで、コウノトリの郷公園の山岸園長はいった。
「明日の放鳥はゴールではありません。これからはじまる、コウノトリとの共生への長い長い道のりのスタートなのです」
そう。これからが本当のスタート。これからももっと交流を橋渡ししなければいけないと思った式典だった。